10 Abakua - アバクア ― 2011/03/08 23:27:08
1790年から1860年にかけてキューバで奴隷制度が全盛を極めていた間、広く行われたプランテーション制度により、自らの意思に反してアフリカから連れて来られたのは、後にキューバでは一般にルクミ、コンゴ、アララ、マンディンガ、ガンガ、マクア、そしてカラバリと呼ばれるようになった多数の異なる民族の者たちであった。
カラバルという名で知られるようになったギニア湾のナイジェリア南東部から現在のカメルーンにかけての一帯に広がるOil Rivers(ニジェール・デルタ)の港から来た奴隷はカラバリと呼ばれた。
その後のキューバ文化の発達において非常に重要だったのは、カラバリ族系のカラバリ・エコイ・イフトとイビビオ・イフィクの存在で、彼らはアフリカではングベとエクペ(イギリス人には、エグボまたはエボと呼ばれた。)という男性の秘密結社を有し、他の町々を威圧し支配した。
彼らの伝説によると、ナサコというエフォ族の魔術師が、至高神アバシを象徴する神秘的な声であるTanzeという魚のうなり声を巧みに操ったのだが、エフォ族の女性シカンもしくはシカネクアによって正体を暴かれ、エフィ族に告げられた。これらのグループへの女性の参加が妨げられていることは、この女性の反逆によるものであると伝えられている。
伝説によると、エフィ族もしくはエフィク族は、Od’dan川の対岸の町に住むエフォ族もしくはエフト族と協定を結んだ。この協定は、秘密結社エグボの規範とともに、お告げの秘密・開示・隠匿・再現または理解などの神秘的財産を通し、カラバリ族によってキューバへ持ち込まれた全ての複雑な伝説を明らかにした。
キューバではカラバリはカビルド・デ・ナシオンに分類され、文化の融合過程において、初めはアフリカ人、後にその子孫たちにより統合され、宗教儀式や芸術は新たな独自の特色をもって発展していった。カラバリのカビルドは基本的にハバナやマタンサスといった西部の州に位置するが、オリエンテ(島の東部)の古い州にも存在し、何らかの形で中央部にも影響を与えた。
1836年、レグラに位置するハバナのカラバリのカビルドのひとつから、エフィク・ブトンと呼ばれる最初のアバクアグループが誕生した。同族同士の継続的なサポートにより、エフォル、エフィク、オル、そしてアパパ出身の新たなグループが現れた。これらのグループの者たちは、自分達を権力、フエゴ(グループ)または国家などと呼びニャニーゴとして知られた。
以来、エグボもしくはエボはアバクアとなった。アバクアの役割は他と異なり、アフリカでの典礼体系をキューバで改造し、相互扶助や隠れ場所として機能する防護的な結社となった。当初、黒人の為の閉鎖的なグループのもとに結成され、その後他のグループのムラート、白人や中国人が入会するとともに、各グループで制定された規則に従い全会員が差別なく混じりあうようになった。
近年アバクアは、港湾地域のみならず工業地帯にも存在し、シウダド・デ・ラ・ハバナ州のレグラ、グァナバコア、セントロ・ハバナ、サン・ミゲル・デル・パドロン、マリアナオ、そしてラ・リサといった都市やマタンサス州マタンサス市やカルデナスに点在する15のグループがある。
プランテ(アバクアの祝祭)は、オボネク(新たな入会者)の宣誓や、プラザ(グループ内の地位や階級)の再編の儀式バロコ、そしてllantosやnyorosと呼ばれる儀式に際し行われる。グループの新設や廃止、捧げものをする際に使用されるpiezas(杖、ドラムなど)の新調や裁判、そして重要な記念日にも集う。最も謎めいたものは、1月6日に行われるマタンサスの重要なアバクアのプラザ(位の高いしかるべきメンバー)の死の追悼である。
フエゴ(グループ)で催される全てのプランテ(儀式や式典)で、同じタイプの音楽が演奏されるが、状況や目的はそれぞれ異なる。その音楽には、呪文、儀式の唄やtoques(特定のドラムのリズム)が含まれる事がある。
プランテ(儀式や式典)では、各行事は同名の聖典の一節として機能する表現により区別されており、これは正確な唄を保持する有名なパルラ(エンカメ<エフィク語>:短いスピーチ)によって発達し、そしてFirmaもしくはanaforuana(儀式的なシンボル)に象徴される。Firmasとは、グループ、民族の優れた特徴や執り行われている行事の象徴に基づいて描かれた図画である。エンカメの葬儀の間に白いチョークで描かれるものは、魂が出て行く時に夜の野で輝く月を表し、黄色のチョークで描かれるものは、生きているものを表し、然るべき儀式によりその色は太陽を指すとされる。
パルラやエンカメは儀式の叙唱で、合図の楽器(音楽的機能はないドラム)に合わせ、一人のプラザによって、場合によっては別の一人もしくはそれ以上のプラザと交代しながら唄われなければならない。各エンカメでは、それに呼応する儀式的な唄が、その場にいる全てのオボネクとプラザが参加し(ソロとコーラスの掛け合いで)続く。エンカメとその唄は、祭壇の準備やモクバ(儀式的な飲酒)、そして参加者の清めといった様々な典礼行事の間、長い時間に渡って唄われる。中にはウェンバ(魔術)と呼ばれる唄もある。
アバクアの伝統的なキャラクターとなっているのは、イレメ(小悪魔)である。それは超自然的なものや、地球に来た霊魂を象徴し、グループの儀式に全てが無事に執り行われた事を宣誓、立証するために現れる。その様子をダンスにするため、イレメはエンクリカモとモルアと呼ばれるプラザにより手引きされる事が求められる。エンクリカモは、ドラムもしくは他の物を用い、モルアは唄(モルア・ユアンサ)や、鈴のような鳴り物(モルア・エリクンディ)を用いる。
プラザ・エクェニョンがドラムもしくはベルに伴われて声を探す時のみが、ファンバ(秘密の儀式部屋)からプラザ・イサロコ(外庭)への行進(ベロモ)の条件が整ったと見なされている時で、その結界ではアバクアと全ての参加者がエフォまたはエフィのマルチャのリズムにのせてそれぞれの特徴である緩急のタイミングで唄い踊る。
アバクアの楽器は、秘密の部屋で管理され、その機能によって象徴的なものと音楽的なものの2つにグループ分けされている。全ての太鼓は個々に異なる奏法で演奏されなければならず、調音と皮を張る方法も独自のもので、皮を押さえている植物繊維の輪から胴の中部の周りに渡した縄に繋がる縄の張力によって調整される。縄と胴の間には、4面の木製の楔が差し込まれているのだが、この楔は調音時の木槌の衝撃に耐えられる様に胴よりも硬い材質で出来ている。ドラムはやや円筒形の、通常は杉やアボカドをくり抜いて作られたものである。楔はシナノキ科の木材で作られ、しめ縄には麻が用いられる。
象徴的な楽器は、4本の合図のドラムで、通常ファンバでプラザと掛け合いで個々に演奏される。3本は直に叩き、1本は摩擦により鳴らされる。直に叩くドラムは、雄鶏の羽根(muñónまたはplumero)で出来た装飾により階級が表され、脇の下に抱えられ、それぞれエンペゴ(合図のドラム)、エクェニョン(声の探し役。これはほとんど叩かれる事がない。)、そしてエンクリカモ(死者の長)と呼ばれる。 エンクリカモは手のみならずバナナや砂糖キビのかけらを用いて演奏される事もある。
フリクション・ドラムであるエクェ(ékueもしくはekué)は、フラガヤルと呼ばれる僅かに濡らしたgüin(砂糖キビのごく軽い棒)を皮面に立てて擦るという奏法が用いられる。これにより作られる、うなり声に似た音は、アバクアの神話のお告げと関連付けられるものである。このドラムには3本の脚が付いており、イリオンゴというファンバの隠れた場所にある。ファンバには、2つから5つの羽箒で装飾されたドラムの形をした物が重要なものとして置かれている。このセセ、またはセンセリボもしくはエリボと呼ばれるものは、調音や演奏される事が一切ないので楽器と見なす事は出来ない。
ビアンコメコ・アンサンブルと呼ばれる楽器編成は、元々3つの体鳴楽器と4つの膜鳴楽器の、計7つの要素から成る。直接叩いて鳴らす体鳴楽器は、エコンというレンズ形のベルで、木の撥で叩きリズムキープをおこなう。イトネという2本の木の撥でしゃがんで(または、立って)ソリストのドラムの胴を叩くものがある。間接的に鳴らす体鳴楽器は、植物の繊維で編まれた2つのラットルで、種を詰めて模様の入った布で覆われ、グィラ(瓢箪の実をくり抜いたもの)にかぶせてありイトネと同じリズムをきざむ。
ビアンコメコの全ての膜鳴楽器は、手で直接叩く。そのうち3つは小さく、脇に抱え演奏する。これらは、エンコモ・オビ・アパ(低音)、2番目にビアンコメもしくはソロ・ゴルペ(高音)、そして3番目がクチ・イェレマ(中音)である。4番目はソリスト・ドラムで、エンコモの3倍の大きさで最も低音を出す。
アフリカ由来の全てのグループに見られるように、ボンコ・エンチェミヤは、肩に掛けて立奏。ボンコまたはエンチェメは、楽器にまたがるもしくは両脚の間に挟む形で演奏される。このドラムは、即興演奏したり、時にはイレメを呼ぶ楽器である。奏者は、プラザ・モニ・ボンコでなくてはならない。
ビアンコメコは、モルア・ユアンサすなわちソロ歌手として演奏グループのガイドをし、またエコン(レンズ形のベル)の演奏も出来る者がいる事により完成する。このアンサンブルのレパートリーは、厳密な儀式的機能は持たない数多くの唄(エフォやエフィのマルチャ)から構成される。それらの歌詞は、アバクアの者にる秘められた嫉妬の情であり、多くのグループにはそれぞれが持つ唄のテーマがある。ビアンコメコの楽器演奏は、即興演奏するボンコを除いては常に同じである。
祝祭におけるビアンコメコ・アンサンブルが、強い聖礼と典礼の特色を持つ行事の三人組(ボンコ・エンチェミ、イレメ、エクェ)のレパートリーに従ってマルチャの演奏中に見られる対話者の特徴を継承している事実も確認されてはいるが、イトネとエリクンディのみで演奏される伝統的なアバクアは、シウダド・デ・ラ・ハバナやマタンサス州においては完全に退廃の一途をたどっている。
ビアンコメコの楽器アンサンブルは、アフリカ文化がわが国において音感と美的感覚を備えたコミュニケーションを維持するための相互影響と適応過程の結果であり、歴史的記憶を保持している文化的発展と宗教グループのメンバーの口述伝承が資料の現存を可能にした。この事により、今日までかけキューバの楽器の多様な世界の一部となった。
ビアンコメコの楽器の音楽的能力については、これらの宗教グループが確立され、他の伝統との文化的相互作用が生まれたキューバン・オクシデンテ(西部地域)の音楽文化の影響を深く受けている。その事は、このCDの中で、2つの音楽スタイルもしくはアバクアのtoque(リズム)が、シウダド・デ・ラ・ハバナとマタンサスで別々に発達しながら継承され、キューバに現存しているのだという事実が証明されている。それらの州のパーカッション奏者によるエンコモ・ビアンコメやクチ・イェレマの構成や演奏スタイルに関連し、エフォとエフィのポリリズムのベースが異なる事により特徴づけられており、マタンセーロにおいてはより複雑なリズム装飾が認められる。これらの楽器のリズムと全体のアンサンブルは、この収録の為に集められた楽器の個々のtoque(リズム)にて確認することが出来る。
アバクアは男性のみの為の唯一の宗教的秘密結社であり、アフリカとアメリカ大陸間の奴隷時代から生き残った秘密の宗派ではない。そしてこの事はまた、フェルナンド・オルティスは「我々の島において最も知られたカラバリの影響の典型である。」と述べている。
この収録に含まれる彼らの楽器のレパートリーと、儀式や祝祭の世界についての知識は、わが国やカリブ海、そしてラテンアメリカ諸国におけるカラバリの遺産についての研究の近い将来においての継続を可能にする。またアフリカのサハラ周辺地域に今なお現存する類似した宗教グループについての、後の研究への直接的な影響を考える事が出来るであろう。
我が国の封鎖により何年も前から悩まされてきた経済的・技術的制限だけでなく、アバクアグループのメンバーの厳しい戒律とタブーによっても様々な制限があった為、1988年のこのCDの収録は、Antologia de la Musica Afrocubanaの他の収録では見られなかったような非常に特別な状況下のもと、シウダド・デ・ラ・ハバナやマタンサス州のそれぞれの文化施設へ召集されたアバクアについての知識を持つ優秀なミュージシャン達の協力により行われた。
シウダド・デ・ラ・ハバナでの収録は、1988年12月16日フェルナンド・オルティス ホールと、キューバ音楽研究開発センター(CIDMUC)の中庭の即席のスタジオ環境で行われた。その少し前の1988年8月14日にマタンサス録音が、市中心部リオ通り70番地のプロミュージシャン提供による建物内の舗装された中庭で、太陽が照りつける厳しい条件のもと行われた。両収録とも、その様子は写真にて保存されている。
収録の中のエンカメでは、ソロシンガーの発案により、エクェニョン・ドラムの代わりにシウダド・デ・ラ・ハバナではエコンを、マタンサスではエンコモ・オビ・アパというように、異なる楽器が使用されている。エフォとエフィのマルチャの中での儀式的な唄やコーラスは、収録に関わったパーカッショニストやそうでない者も含め全てのアバクアの男たちやアバクアに精通した者たちによって唄われた。
■ シウダド・デ・ラ・ハバナ録音のビアンコメコ・アンサンブルの演奏者は以下の通り :
グレゴリオ・エルナンデス・リオス・エル・ゴヨ (歌手)
ファン・カンポス・カルデナス (歌手)
クリストバル・ゲーラ・ウリョア (歌手、ボンコ・エンチェミヤ)
ロマン・フスト・ペリャディート・エルナンデス (ボンコ・エンチェミヤ)
フランシスコ・ガルシア・エレーラ (ボンコ・エンチェミヤ)
アロルド・アコスタ・ゴンザレス (ボンコ・エンチェミヤ)
ラミロ・ペドロソ・エレーラ (ボンコ・エンチェミヤ)
アルベルト・ビリャレアル・ペニャルベル (パーカッショニスト)
エドゥアルド・メルガレホ・ブルソン (パーカッショニスト)
マリノ・ガルシア・アランゴ (パーカッショニスト)
ヘラルド・ペリャディート・エルナンデス (パーカッショニスト)
フェリックス・ロメロ・エレーラ (パーカッショニスト)
ペドロ・A・ロドリゲス・マレーロ (パーカッショニスト)
アウレリオ・マルティネス・グィリャマス (パーカッショニスト)
リカルド・ゴメス・サンタ・クルス (パーカッショニスト)
レイナルド・ガルシア・クエト・パパイート (コーラス)
パブロ・アマロ・ナバレテ (コーラス)
フェリックス・ルイス・レイェス (コーラス)
■ マタンサス録音のビアンコメコ・アンサンブルの演奏者は以下の通り :
フランシスコ・サモラ・チリノ・ミニニ (歌手、ボンコ・エンチェミヤ)
フランシスコ・E・メサ・セスペデス (歌手、ボンコ・エンチェミヤ)
ペドロ・タパネス・ゴンザレス (歌手、ボンコ・エンチェミヤ)
ラモン・ガルシア・ペレス (ボンコ・エンチェミヤ)
レイナルド・ゴベル・ビリャミル (パーカッショニスト)
レイナルド・アルフォンソ・ガルシア (パーカッショニスト)
バルバロ・アルダサバル・サインス (パーカッショニスト)
ジョバンニ・サルガド・フンコ (パーカッショニスト)
イスラエル・ベリエル・ヒメネス (パーカッショニスト)
エディ・エスピノサ・アルフォンソ (パーカッショニスト)
ラサロ・サモラ・チリノ (コーラス)
エリベルト・ソレル・ベラスコ (コーラス)
オルテンシオ・アルフォンソ (コーラス)
ファン・ガルシア・フェルナンデス (コーラス)
ビアンコメコ・アンサンブルに見られた違いにも関わらず、スタッフは両州において7つの楽器のアンサンブルを収録する事が出来た。収録に使用されたジュード・ドラムは、聖別されていないドラムで、Conjunto Folklorico NacionalやConjunto Folklorico Afrocuba de Matanzas所有のものである。シウダド・デ・ラ・ハバナでは、国立音楽博物館所蔵のフェルナンド・オルティスのアンティーク・コレクションの体鳴楽器の使用によりクラック音が表現されており、マタンサスではボンコやエリクンディといった楽器の用意が不可能であった為、トゥンバドーラとチェケレが代用された。
90年代にアセテート盤のLPレコードの生産がCDに代わり、キューバのレコード業界にも変化が生じた為に現在までリリースされなかった1988年録音の「アバクア」のタイトルは、このCD「Antologia de la Musica Afrocubana完全版」の為に12月5日にマスタリングされた。
Antología de la música afrocubana.
Liner notes by María Teresa Linares. EGREM. col.0011.
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09 Congos - コンゴ ― 2011/03/03 00:50:05
キューバ社会の中核のかなりの部分において、コンゴ出身者やConguitosの存在は今なお色濃い。よく知られている逸話や年長者たちの証言も、この民族がキューバの音楽性の統合過程に大きく影響したもののひとつであるという文化的形跡を啓示している。
16世紀から19世紀の奴隷貿易の終焉までの間にキューバに連れて来られたアフリカ人をコンゴという言葉により特定する事ができた。彼らは、アフリカ中西部の古くからバントゥー族が居住するコンゴ川流域もしくはザイールの港から連れ出された者たちであった。
カビルド・デ・ナシオン、カサの会堂もしくは単純に奴隷小屋といったいくつかのグループ分けによる階級が初期の文化要素の再建のために作られた。その要素は、激しい文化の融合過程において発達し、今日もなおその独自の旋律の音調、言語表現、リズムパターンなどにより、際立ったバントゥーの歴史における音楽文化を生み出したものである。
コンゴのカビルドはキューバ中西部全土に渡り、前世紀半ばから今世紀初めにかけて最も輝きを放った。奴隷制の廃止とともに、有能な奴隷たちが新たな働き口を求めて都市やその周辺の地域に移り住んだ。コンゴ出身者とその子孫たちの数は膨大であり、時として一所に集中したのか彼らはcongueriasと呼ばれた。
共同所有地にあるカビルドもしくは共同体は、音楽と踊りを主たる要素としてこれらの部族とその近隣グループの宗教と儀式の中心的な組織となった。
20世紀には、これらの組織は社会経済との関係の中で、その存在意義を失いはじめ減少していた。それらは、わずかなキーマンを残すばかりという状態に至るまで徐々に消滅し続けたのだが、かろうじて現代まで残った貴重な宗教儀式もある。この収録に際しては、以下の4つのグループを抜粋した。
1. ヴィラ・クララ州サグア・ラ・グランデ地方のカビルド・クナルンゴもしくはソシエダド・サン・フランシスコ(1984年5月 現地録音)
2. シンフエゴス・パルミラ地方のカビルド・サン・アントニオ(1984年5月 現地録音)
3. サンクティ・スピリトゥス、トリニダーのカビルド・コンゴ・レアレス(1984年11月 現地録音)
4. ハバナ州マリエル、キエブラ・アチャのカビルド・サン・アントニオ(1984年3月 現地録音)
マクータのダンスとリズムは最も通俗的な祝祭で、カビルドの創立記念日や大衆信仰により崇拝されている真理や魔力の融合的象徴とされるカトリックの守護聖人の日などの大切な祭典に捧げられた。
マクータのダンスを見る機会に恵まれた者の説明によると、それは信仰の対象や場所のみならず、カビルドの教主や君主、または長への明確な忠順の意味を持つものであった。
まず年長者のみによる行進または敬礼の様な形で始まる。その後、唄とリズムに合わせて一連のダンスがペアによって(組まずに離れた状態で)続くが、儀式上の順序や意味は忘れさられている。
この旗章に対する敬礼やダンスは、旗章を預かりカビルドの徽章をつけおこなわれ、室内に組織のパワーの象徴や魔力の源となるものが残るとされる場所を礼拝する役割の者に導かれて真夜中近くに催される。
現在では、マクータのダンスと音楽の複合は崩壊が進み、継承者グループの祝祭においてもダンスは忘れられ、唄も少なくなりつつある。祭事が減少するにつれ、正しい音程で唄ったり、この種の唄に呼応したりする事のできる者も減り、ベンベやパレーロといった他のジャンルの唄で代用せざるをえなくなってきている。
そういう訳で、我々は苦心の末集める事のできたマクータのリズムや唄を貴重な音源と位置づけている。
ここに収められた音源は、その古さという点で非常に興味深いもの、もしくは各カビルドの儀式的役割において最も象徴的であると思われるものである。音源の選定にあたり、音質やソリスト、コーラスと楽器のアンサンブルの間のバランスも考慮に入れておこなったが、一部にはソリストの唄に対する他者の驚きや当惑を表す声が入っているのが認められるであろう。
マクータの唄には、パルミタ、サグア・ラ・グランデ、トリニダーのカビルドに由来する名称の楽器アンサンブルが伴われる。
それらは地域の状況もしくは構造上の発展段階から同じタイプの楽器と思われるが、異なるバリエーションで演奏されている。
パルミラとサグアの両面ドラムは、一番大きなものがンゴマもしくはカハ、一番小さなものはキンバンドゥもしくはキンバンソと呼ばれる。トリニダーでは同じものがそれぞれカハ、ボンボと呼ばれる。先述の2つの場合、キンバンドゥはカハの原型である円筒形の木の幹をくり抜いて作られ、管状で釘留めされた皮のついた形状を保持している。
パルミラの一番大きなドラムにおいては、皮の張りはリングと張りを調節する鍵のコンビネーションにより加減される。そしてサグアのンゴマにおいては、そうした皮の張りの調整の他に、樽型の胴を作るために樽板が用いられている事に気づくであろう。
トリニダーのドラムには、その形状において地域的な違いが見られる。それらは円筒形の木製の胴に、皮は縄と楔を用いて張られているのだが、これは全て19世紀にトリニダーのサンクティ・スピリトゥス地方のコンゴとカラバリ族の間に起こった文化の融合過程によるものである。
打楽器は、木や金属の表面を叩くことによる基本的なアンサンブルに加え、パルミラでは鍬刃(グァタカ)を叩き、そしてその他の場合においては、ドラムの胴を一組の撥で叩くといった手法により新たな音色が作られるようになった。カヘーロ(カハ奏者)が手首に付けて鳴らす小さなマラカスもしくはンケンビ(瓢箪の実から作られた小さなマラカス)もたびたび用いられる。
我々はマクータのリズム構成を個々に紹介するにあたり、単なる研究目的も含め一部の専門家にとっては興味深いであろうことからこれらを収録した。これはそのリズムパターンが、ボンボもしくはキンバンソのリズムに加えられたために既にその機能が事実上消滅してしまった第三のドラムのリズムである。
キンフィティは、音楽とダンスの概念として、キューバ中西部に存在していた。しかしながら、我々の時代にはハバナの北西に存在するカビルド、サン・アントニオのみに限定されている。この名称は、楽器アンサンブルを特徴づけているフリクション・ドラム(摩擦によって音を出す膜鳴楽器)に由来しており、そのドラムはかつて偉大な魔力を持つもの、すなわち「礎となる楽器」と考えられていたものであるが、この儀式的意味は徐々に失われてきている。
キンフィティの祝祭は、キエブラ・アチャ地方では、集団的もしくは個人的な重要性を持つ。とりわけ砂糖キビの収穫期の初めもしくは終わり、病気の回復や乾季に対する感謝、年間を通して行われるカビルドの祝祭といった行事を祝うために執り行われた。
現在キンフィティの祝祭は6月12日と13日の、この組織のTa Makuenda yayaと特に関係の深いカトリック聖人のサン・アントニオの日にのみ行われている。
この祝祭におけるキンフィティの音楽は、マクータ同様他の儀式的習慣である動物の生贄、祭壇の配置と装飾、儀式的水浴、供物や会食といった事が見られ、広義の祝祭体系に統合されている。
キンフィティのアンサンブルには、鍬刃(グァタカ)を備えたキンフィティ・カハ、その他にカハ、ドス・イ・ドス、ウン・ゴルペと呼ばれる3本の小さなンゴマ・ドラムが含まれる。
このグループのレパートリーは、現在ではわずか20曲にまで減少した。この中にはTa Makuendaに捧げられた唄もあるが、一般的にはバントゥ語とスペイン語が混ざり合った非儀式的な内容の唄であり、儀式的要素を消滅しつつカビルドの長老たちの許可のもと採用された古い労働や布告の唄が選定されたようである。
広く融合した信仰を祀るパロ・モンテもしくはレグラ・パレラの会堂は、特に古いカビルドが完全に消滅してしまった地域においては、コンゴ出身者とその子孫たちの音楽やダンス表現のもうひとつの重要な継承手段であった。
例としてここに抜粋したのは、コンゴの3つの祈祷と唄で(1984年5月 現地録音)、マタンサスのハグエイ・グランデ地方のパレーロたちが儀式あるいは祝祭で、祈祷の対象物もしくはンガンガ(神聖な器)の力を祈りながら唄っていたものである。
パレーロの唄の演奏は、全く異なる楽器構成で、これは各伝承者の持つ核となる伝統とその後の発展性と符合する。この演奏では、トゥンバドーラ2本と鍬刃(グァタカ)が使用されていた。
演奏と唄い手のグループを率いるテオドロ・エルナンデスは、コンゴ出身者の子孫でありtata nganga(司祭)、この地域全体で良く知られる人物である。
■ 収録曲
マクータの唄とリズム、カビルド・キナルンゴ、サグア・ラ・グランデ
・ ウンベ 0:49
・ クナニャンカ 1:13
・ イヤカ 1:12
・ エクーソ 1:44
・ ワニレロ 0:33
・ ミ ソパ 1:05
キンフィティの唄とリズム、カビルド・サン・アントニオ、キエブラ・アチャ
・ タ マクエンダ 1:14
・ キブラヤヤ 1:21
・ トゥ キエレ 1:36
マクータの唄とリズム、カビルド・サン・アントニオ、パルミラ
・ ルペンバ 1:34
・ クナニャンガ 1:39
パレーロの唄とリズム、アグラモンテ
・ マニングァラ 1:10
・ ペロ サポーネ 1:31
・ ネンゴ ネンゴ 1:40
マクータの唄とリズム、カビルド・コンゴス・レアレス
・ アンドゥレ アンドゥレ 1:22
・ コンゴ レアル 1:49
・ カラベラ 1:48
ミレナ、記録の為の分割演奏
・ ムラ 0:36
・ ムラ、グァグァ 0:47
・ ムラ、グァグァ、セグンド 0:47
・ ムラ、グァグァ、カハ 1:34
・ ミレナの唄とリズム 2:56
Antología de la música afrocubana.
Liner notes by María Teresa Linares. EGREM. col.0011.
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08 Toque de Guiros - グィロ(チェケレ)のリズム ― 2011/02/20 23:33:52
ヨルバの人々に連綿と受け継がれる多神教崇拝(サンテリア)の複雑な宗教儀礼は、その音楽とダンスが複合して表現される媒介手段であるため、キューバの音楽文化において大きな重要性を持つ。
これらの祝祭で用いられる楽器のひとつがグィロまたはアブウェである。キューバではこのような楽器は基本的に、ハバナ市やマタンサスといった西部州の地方や都市部に点在するカビルドに現存する。
現在のグィロとアブウェのアンサンブルは、18世紀の終わりから19世紀にかけてアフリカ西海岸からキューバへ渡ったという奴隷制度の史実のみならず、ヨルバ文化と直接的につながってはいるものの、キューバの社会文化面における音響や表現上の必要性による発展過程で生まれたものである。
これらの楽器の主な特徴は、多くの場合において伝承者の求める発展性や客観的ニーズによって形作られる。その際、キューバの熟練者や製作者による新たな技術や材料の構築と再構築を繰り返してもなお変化を伴いながら形作られる。
製作法と演奏法は、いずれもこれらの楽器のレパートリーや作品と同様に部族内での口述伝承や伝統を継承する者達のグループにより現存しているものである。
グィロもしくはアブウェは、キューバではチェケレとも呼ばれるが、この伝統の主たる継承者であるサンテーロは、その名称を使用せずグィロの方を好むようである。
アンサンブルは3つのグィロにより構成され、そのサイズにより一番大きなものからカハ、次にムラまたはセグンド、そして一番小さなサリドール・ウン・ゴルペもしくは単純にウノと呼ばれ、それぞれ大きいものから低、中、高音域を出す。
グィロもしくはアブウェは、胴が空洞状の体鳴楽器で、グィロ・アマルゴ(瓢箪)を乾燥してくり抜き、パイナップル系植物の葉の繊維(Pita)もしくは細い麻紐で作られた網で覆われている。この網状のものはグィロを覆う形に施され、ネックの周りと底部にそれぞれ通した縄もしくは麻紐で留められ網が滑り落ちないようになっている。こうして網がこの楽器の上下の端を除く全てを覆う格好になる。網にはビーズや種が通されており、これらが胴の外側に当たって音が鳴る。
底部(外側)には、演奏中の破損を防ぐために皮やキャンバス地の布が貼られている。網の上部から底部の縄もしくは紐へかけては、装飾のために色の付いた幅広の紐が結ばれている。
これらの楽器は両手で振り、あるいは片手の平を半分閉じた状態で底部を叩いて鳴らす。演奏者は上部の開口部に取り付けられた紐の持ち手に親指を通すか単純にネックを掴んで持つ。
グィロやアブウェは宗教儀式で使用される主要な楽器ではないので、演奏者は信者もしくは清めの儀式を受けた者である必要はない。製造にあたっては特定のハーブで洗われた後、洗礼を施すために聖水がかけられ、音が良くなるためのパワーをグィロに与えるために動物の生贄などが捧げられる。
このグループでは、サイズの大きなアブウェもしくはカハが即興演奏で非常に象徴的なリズムを表現し、他の2つのグィロはより規則的なリズムを繰り返し低音カハの演奏の土台となる。
楽器のグループ構成は、1本またはそれ以上の(通常は2本で例外的に3本の場合もあるが)トゥンバドーラに代表される皮面を叩いて演奏する楽器が入って完成する。即興演奏は最も低音域のもののみがおこない、全体で異なる音色、音域が混ざり合った多様なリズムやコンビネーションが用いられる。
その他には1つないし2つの金属製の、主に鍬刃(グァタカ)もしくはセンセロといった打楽器が用いられ金属の棒で叩いて鳴らす。これらは最も高音域で、その音色は他の楽器の中で際立つことから、このアンサンブルにおいては通常リズム維持のガイドとなる。
グィロもしくはアブウェのレパートリーは、サンテリアの多神教崇拝と符合するヨルバの神々の唄や踊りのためのリズムを含む。この一連のリズムと唄はオル・ルクミと呼ばれ儀式の規則により予め定められた順序で演奏される。エレグアに始まり、次に戦士の神々、そして残りの神々へと続き、最後にそのリズムが導くオリシャで終わる。オル・ア・チャンゴーなどのような場合には、そのオルが捧げられる神で終わる。
祈祷の唄はソロとコーラスの構成で唄われ、最後の唄では祭礼の参加者も加わり一曲全てもしくはアクウォンまたはガリョと呼ばれるソリストが発したパートを繰り返し唄う。これらの唄では、儀式で用いる言語が維持され口述文学の伝統が受け継がれている。
リズムや唄は現地録音されたもので、ハバナ市、ハバナやマタンサス州の地元を代表する演奏グループや伝統継承者たちの演奏であり、キューバ西部地域の一部と他の地域へ移行した祝祭と宗教的ニーズをカバーしている。
これらのグループのメンバーのほとんどは献身的なサンテーロ、あるいは他の民間宗教崇拝者で、前述の各都市に現存するレグラ・オチャもしくはカビルドといった宗教施設との繋がりがある。
グィロス・サン・クリストバル・デ・レグラは1955年にディレクターのレネ・ロバイナ・セネカにより創設されたグループで、ハバナ市のレグラ地区でのサンテリアの祭礼のダンスと唄のために集まっていた演奏者たちである。
このグループのアンサンブルは3つのグィロ、2本のトゥンバドーラ、そしてグァタカで構成される。唄に合わせてバタのアンサンブルのリズムをグィロや基本的にはトゥンバドーラで模倣して演奏している点はユニークな特徴であると言えよう。
抜粋した音源は1983年録音で、以下の演奏者によるものである :
ホセ・ギル・デルガード : ソリスト、歌手
フランシスコ・ロドリゲス・モレノ : ソリスト、歌手
レネ・ロバイナ・セネカ : 歌手、ディレクター
フランシスコ・バラエス : パーカッショニスト
エルネスト・セダーノ : パーカッショニスト
アンドレス・バラエス : パーカッショニスト
ホアキン・バラエス : パーカッショニスト
フランシスコ・ケサーダ : パーカッショニスト
ロベルト・ウィリアム : パーカッショニスト
ウラディミール・オファリル : パーカッショニスト
カンディド・ダミアン : パーカッショニスト
アグウェは1936年にディレクターのパブロ・パディリャ・ビヒルにより創設されたグループで、ハバナ州の自治都市ヌエバ・パスの伝承者たちから成る。アンサンブルは前述のグループと似ているが、センセロの代わりにグァタカが使用されている。
1986年に以下の演奏者によって収録 :
アレハンドリーナ・ロセル : ソリスト、歌手
マリオ・オファリル : コーラス
エドゥアルド・パディリャ : パーカッショニスト
パブロ・パディリャ・スアレス : パーカッショニスト
アンヘル・トラパ : パーカッショニスト
フェリペ・トーレス : パーカッショニスト
ホセ・L・アマド・エレーラ : パーカッショニスト
ビクトル・プエイ : パーカッショニスト
ラモン・パディリャ : パーカッショニスト
ここには1984年収録の2つのグィログループも含まれている。ひとつはニロニイェのカビルドもしくはロア・イホス・デ・アトーチャ(1922年マタンサスで創設されたサンテーロのエウヘニオ・ラマール(チューチョ)率いるグループ)に属し、唄い手と演奏者はこのいずれかと繋がりがあり、3つのグィロ、2本のトゥンバドーラとグァタカで構成される。
リモナール地方出身のグループ、エル・ニーニョ・デ・アトーチャは、ベニート・アルダマが創設者でありディレクターである。このグループは本収録の他のどのグループとも異なり、トゥンバドーラ1本とグァタカ2つ、そして3つのグィロまたはアブウェという構成である。
ベニート・アルダマ : ソリスト、歌手、ディレクター
マルタ・バユン : コーラス
ラファエル・ガルシア・ガルシア : パーカッショニスト
ファン・バロ・バロ : パーカッショニスト
フェリックス・アバリ・ドミンゲス : パーカッショニスト
ラウル・ベントーサ : パーカッショニスト
クラウディア・レンドン : パーカッショニスト
ペドロ・ハムレ : パーカッショニスト
ダゴベルト・ネニンゲル・ディアス : パーカッショニスト
Antología de la música afrocubana.
Liner notes by María Teresa Linares. EGREM. col.0011.
※ 演奏者のクレジットが英語版とスペイン語版で異なるため、オリジナルのスペイン語版に準拠しました。
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07 La Musica de la Tumba Francesa - トゥンバ・フランセサの音楽 ― 2011/02/16 00:23:44
18世紀の終わりから19世紀初めのハイチ革命の結果、キューバへ来たハイチ移民は、純血、混血、奴隷、自由な黒人問わず皆フランセス(フランス人)と呼ばれた。その後この移民たちの子孫としてキューバで生まれた世代や、さらにはフランス植民者によって買われ、後にハイチを脱出してキューバにたどり着いたアフリカの様々な国出身の奴隷たちまでもが一様にフランセスと呼ばれた。
文化が発達する初期段階より元来発達した文化を持つ彼らは、主人の言語であるフランス語に、独自の文化要素を同化させた。それらの言語は彼らの母語ではなかったが、サント・ドミンゴ島のフランス支配下の地域で起こった異言語との交じり合いにより、クレオールまたはパトワ(訛り)となった。キューバでは、彼らが持ち込んだ文化的特色の名残りとして、このパトワは彼ら自身の言語として保持された。まさに彼らは、新たな社会経済的関係によって決定された新たな文化の融合過程に再び付き合わされることとなったのである。
フランセスという名称は、人間のみならず彼らを取り巻く全て、すなわちダンス、楽器、カビルドやグループにも広く用いられた。この名称により、一方では社会的地位が高いかの様に装うことが出来た。また一方でハイチは、18世紀最後の10年間ヨーロッパ諸国のアメリカにおける植民権力に対する破壊活動の中枢であった為、ハイチ人と名乗ることでキューバのスペイン植民当局との関係が危うくなったかも知れない為フランセスと名乗った方が良いと考えられた。
トゥンバ・フランセサのグループは、そうした移民の初代の子孫たちが集まり、その後多くのキューバ人も混じってきて、彼らが行っていたとりわけ初期の祝祭の数々を徐々に統合しながら19世紀最後の数10年から20世紀初めの数10年の間(全盛を極めた時代)に急速に発達した。
しかしながら、全てのフランス移民の奴隷がカビルド・フランセス(ハイチ人のカビルド)の一員となった訳ではなかった。彼らの多くは初期の祭礼から遠ざかり、より直接的な形でキューバ国民に統合されて行くようになった。母国語を話すのを止め、ハイチから持ち込んだ文化や伝統との繋がりを失いながら、この植民社会における別の活路を自ら見出していった。
カビルド・フランセスは、アフリカ人奴隷や自由な黒人グループの加入、またフランス人の雇い主や先祖の所有者の苗字を使い続けた移民の子孫たちとの統合により増大した。そんな事からも、娯楽行事、すなわち特定の行事における祭礼の中心が、彼らの民俗的要素がキューバで、多様な功業をともなう全ての文化の融合過程を通してもなおフランスのエッセンスを失わずに今日まで継承された主要な誘因であった事は理解できる。前述した繁栄期の後は退廃の様相をきたし、今日ではわずか2つのカビルドを残すばかりとなった。
カビルド・フランセスは、初期の習俗や歴史がキューバ文化の特徴を作り上げた要素の源となっている。今日その音楽や踊りは、キューバの村落の独特な文化的特徴となり、また東部地域のコンガやコンパルサといった都市近郊における芸術文化にも直接的または間接的に影響を与えた。
カビルド・フランセスの生活は祝祭を通して発達したのだが、その祝祭はソリストもしくはコンポシ(唄い手のリーダー)による唄、トゥンベーラのコーラス、マヨールもしくはマヨーラ・デ・プラザ(男性もしくは女性の責任者)演出のダンス、ソロダンサーたち、ドラム奏者、指示役のスタッフと全ての基本的な構成の決定を担う役割の者(かつては王や女王)から構成されている。
マヨールもしくはマヨーラ・デ・プラザには指示を出す役割があり、祭礼の一連の場面の段取りに関わる全ての準備をおこない指示を与える時に笛を鳴らす。どのペアが踊り、メインダンサーの右手をとり、何周踊ってから丁寧なお辞儀をし、その後パートナーへ戻すなどといった踊りの構成なども決める。
ある時はマヨールもしくはマヨーラ・デ・プラザは2人のダンサーを伴い、自らが間に入って一方の右手ともう一方の左手をとり(次にそれぞれの逆の手をとり繰り返す)全員が前を向いた状態でつないだ両手を高く上げながら2人をターンさせ、ドラム奏者(またはコーラス)の方へもう一度ターンさせながらステップを踏み最後のターンの後に元の場所に戻す。一般的に、女性は大きな布(foulards)を持ち頭の高さまで上げる。
コンポシは祝祭の中心人物であり、そう呼ばれるソリストは唄の歌詞を作り即興で唄ったり、また時にはコーラスのディレクターともなる。
トゥンベーラと一般に呼ばれる女性は、コーラスを構成する。彼女たちはダンサーでありまた唄い手でもある。祭礼での衣装は明るい色の、襟ぐりの深いタイトな身頃に裾が大きく広がったフリルドレスで、ベルトはなく、刺繍やリボン、レースの差し込みで装飾され、良く糊付けされアイロンがかけられている。ペチコートもまた糊付けされたレースの付いた足元まである長いものである。頭には布を美しく結び、手にも大きな布を持つ。深く開いた胸元にはネックレスをつけ、その他大きなイヤリング、ブレスレット、派手な石をはめ込んだ指輪などをつけ、チェーンの飾りの付いた扇を持つ。
男性の衣装は通常白のシャツとパンツである。以前はコートにシャツとタイという格好であった。踊る時には大きな布を肩にかけて結ぶ。男性も女性も、踵が低く履き口が広くゆったりと開いた靴を履く。
祭礼で使われる楽器は、トゥンバと呼ばれる3つの大きな片面皮ドラム、丸みをおびた形状のカタ(丸太をくり抜いた打楽器)、そしてマソンというダンスに使用されるタンボーラと呼ばれる両面皮ドラムである。トゥンベーラやマヨーラ・デ・ラ・プラザが持つ金属の鳴り物はチャチャと呼ばれ、常にドラムのビートをサポートする。
3つのトゥンバはプレミエール、ブラ、セゴンと名付けられており、演奏においてそれぞれ異なる役割を持つ。プレミエールは3つの中で最も大きく、皮の直径も一番大きくて低音を出す。曲の中では最後に加わり、技巧に溢れる即興演奏をおこないアピールする役割を担う。ブラはプレミエールより幾分小さく、皮の直径も小さい。音域もプレミエールより高く、ポリリズムの進行の中で多様な音のリズムパターンを維持する役割がある。トゥンバ・フランセサにおいて、決まったリズムパターンを演奏するドラムの中では、ブラが最も豊かなリズムと多様な音を表現する事ができる。
3つ目のトゥンバもまたブラである。ブラ・セゴンもしくはセゴンは、ブラとほぼ同じ大きさかやや小さく、ブラと同じリズムを演奏するが、ダンスの中で決められた特定の場面では演奏しない。
3つのトゥンバには木栓と紐で皮が張られる。また、皮の上にはギター弦が中心を通って渡され、両端を皮の周りのリングに結んで留めてある。この弦にはドラムの音色の可能性を広げ、皮の振動でより複雑な音を作る機能がある。
カタは高く鋭い音の木琴(丸太をくり抜いた打楽器)で、ソリストの唄が始まった後に入り、ダンスが続く間中、一定のリズムパターンを叩き、ドラムのバリエーションの土台となる。
トゥンバ・フランセサのダンスは元々数多くあったようであるが、既にいくつかは消滅し、ユバという今日まで残ったものに統合されたと考えられる。GrayeもしくはGrayimaそしてMangansilaといった名称だけが残るものもあるが、年長の熟達者ですらそれらが各々どういったリズムとダンスステップなのかを明確にする事ができていない。
カビルド・フランセスには2つのダンスが残っており、ひとつはマソンという最後に統合されたと思われるもの、もうひとつはユバである。マソンはペアダンスで、20世紀初めに若者を魅了した祝祭の踊りである。フェルナンド・オルティスによると、マソンという言葉はフランス語のメゾンに由来し、奴隷たちが邸宅で主人たちが踊っているのを見て真似たものである。伝統的に全てのトゥンバ・フランセサの祝祭はマソンで始まる。
現存する最も古いダンスはユバで、一連のリズムの中でダンスステップと、恐らく別の独立したダンスのものであった要素が繰り返される。この事から、ユバはマコタやコブレロのリズムでも踊る事が可能であると言える。ユバの最後はフレンテで、リズムと振りやステップが突然変化する構成のダンスである。
フレンテでは、プレミエールとブラは横にして置かれる。このダンスはプレミエールの即興演奏とダンサーの複雑なステップのバトルから成るもので、ダンサーは色の付いた布を体に巻きつけ、ダンスエリアの中心でかつドラムの正面となる所で、ドラム奏者の即興演奏と勝ち負けがつくまで踊り続ける。
この祝祭は15~35分のいくつかのセッションを、途中コンポシを代えたり、甘いものを摂って休憩をしながら一晩中続けられる。
この収録は1976年7月にサンタ・カタリナ・デ・リッチスというグアンタナモのカビルドで行われた。掲載の写真は、この日の祝祭で撮影したものと以前の研究過程で撮影したものである。ここに収められた曲や唄は、これらのカビルドについての情報と同様アルヘリエス・レオンと彼の生徒たちであるオラボ・アレン、ダニロ・オロスコ、イダルベルト・スーコを含む研究チームの一連の成果によるものである。
この収録曲は、オラボ・アレン編集の旧版にも収録されており、1979年にベルリンのフンボルト大学で行われた博士論文の添付資料として発表された。A面はアレンの企画により各ドラムの個々の音にそれぞれカタが入ったものが収録されているのだが、彼は後にこの論文で扱われた録音の譜面化に着手した。B面にはマソンで始まり次にユバといった祝祭の全ての音源が収められている。この録音には、(学術論文用の研究であるため)オラボ・アレンの提案による以前の録音も全て収められました。
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06 Fiesta de Bembe - ベンベの祝祭 ― 2011/02/06 14:57:20
我々の活動目的のひとつは、キューバ全土に渡って現在もなお活発に行われているアフリカ発祥の民族文化の保存である。
なかでも、ヨルバやルクミ発祥のものは、島の西部地域において大きな重要性を持つ。そこはスペイン植民時代の間続いた経済的事情からアフリカ民族の奴隷が数多く見られた地域だったのだが、幸運なことに現在もなお彼らの文化、とりわけ音楽における多くの特徴が連綿と受け継がれている。
ヨルバの音楽文化は、宗教と深いつながりがある。儀礼の音楽はバタドラムで演奏される。世俗的なものはguirosかabwes、そしてベンベドラムで演奏されるが、特定の場合にはバタも組み合わせて用いられる。
ベンベは祝祭や踊り、そして音楽の名称でもある。これらに宗教的特性はないものの、サンテリアの慣習の延長と位置づけられる。なぜならこの音楽や唄は、これを享受している教導者もしくは信者たちによって、ヨルバのオリシャへ捧げられているからである。
ベンベは単なる娯楽か、またはサントの誕生日と呼ばれる信者がサントになった入信記念日を祝う場合に行われ、その様子が収録されている。
ベンベドラムはその製作や取り扱いにおいてなんら儀礼的な扱いは必要とされないが、大切に保管され使用する前に調整される。
製作地によって作り方も音も異なり、そこには異なるアフリカ民族の文化的要素の影響が見られる。
ベンベドラムは3本で、Iya、obbata、そしてerunと呼ばれる。円筒形の片面皮で、皮は釘留めされているが、イエサの影響を受けたものは、両面皮で紐で張られている。胴はヤシ、アボカド、松またはアーモンドの幹で作られ、皮には牛や馬、またはラバが用いられる。
今回収録した祭礼で使用されたドラムは、1952年製である。皮はアララのドラムの様に、胴の内側へ差し込まれる木製のガラバト(アボカドの木から作られたV字形のかすがい)によって張られている。この張り方は、修理時に鉄製のものに交換され、唯一erunのみ元来の方式が取られた。皮は牛皮が用いられている。
木材はアボカド材が使われ、Iyaとobbataは樽板を用いて作られる。erunは1本の木をくり抜いて作られる。脚のついた開口部を下にして立てられる。Erunには他の2つのドラムのように脚がついていないが(元々は、他2つもついていなかった。)代わりにもう一枚皮がつけられている。
ドラムは赤、青、白といった、属するグループの色が付けられる。Iyaは皮の縁に布とココナツの繊維で作られたmaribboの輪で装飾される。
ベンベアンサンブルでは、aggogoまたはguataca(時にはazadaとも呼ばれる農具の鍬刃)が用いられる。男性のみが演奏を許されており、7人構成で楽器を替わりながら唄の長さに合わせて演奏する。
Iyaドラムは即興演奏によって曲を始める。奏者は撥もしくは槊杖(さくじょう:銃などの火器を掃除したりするのに使う棒)を右手に持ち、左手は素手(掌)もしくは拳で叩く。
唄の盛り上がりによっては、ドラムの縁を叩いたり、2本の撥で叩かれることもある。Iya奏者は立って演奏し、erunとobbataは座って演奏される。
ドラムの並びは以下の様になる:
Obbata(座奏) Iya(立奏) erun(座奏) agogo(立奏)
また、アンサンブルにはgalloという通常ヨルバ語を用い即興で唄うことが出来るソロシンガーと、祝祭の盛り上がりによって増えることもあるが8人編成の女性コーラスが入る。唄はコールアンドレスポンスの形式をとり、コーラスはソリストのフレーズを反復し呼応する。
コーラスはドラムの前の中央で輪になって踊り、ソリストはその中に入るか、もしくは外側で唄う。全体の興奮に反応し、神が参加者に乗り移り始めると踊りも変わる。ベンベの踊りは非常にダイナミックで、絶え間なく曲が演奏されていくにつれ、その生命力に溢れた様子は次第に増してゆく。
エレグアは儀式の始まりを司る神であり、また彼らが敬意を表するサンテーラが属するグループの統治者であることからベンベの最初に唄われる。
その後、オヤとチャンゴーの唄が続くのだが、これは演奏やパフォーマンスにおいて、より良質であるが故に選ばれたとされる。さらにこれらの唄が演奏される間に祭礼は最高潮に達し、神の憑依のもとに倒れこむ参加者も出て演奏者や唄い手の気持ちをより昂らせる。
ベンベの祝祭は地方でも都市部でも行われている。ここに収められているものは、1981年3月4日にマタンサス市のサラマンカ通りにて行われたものであり、我々がフィールドワーク中に招かれた時のものである。
開始時刻PM 8:00、終了時刻AM 0:00
バタドラムと奏者は、サンテーロのエウヘニオ・ラマール・デルガド “チューチョ”率いるNiloniyeのグループ ”Los hijos de Atocha”に所属する。
・ 演奏者:
ヒルベルト・ミラレス・カルボ
アルフレド・カルボ・ブリト
レイナルド・アルメンダリ・ベルゴジャ
オレステス・アルフォンソ・デルガド
バルバロ・マス・ラマール
モイセス・ウルティア・ルイス
バルバロ・ルイス・チリノ・ミランダ
ルイス・ラマール
・ ソロ歌手:
オヤの唄 : マキシミナ・カジェ、エウヘニオ・ラマール ”チューチョ”
チャンゴーの唄 : バルバロ・マス・ラマール
■ 収録曲
1. 祝祭より(一部)
2. 祝祭より(一部)
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