07 La Musica de la Tumba Francesa - トゥンバ・フランセサの音楽2011/02/16 00:23:44

07 La Musica de la Tumba Francesa - トゥンバ・フランセサの音楽


 18世紀の終わりから19世紀初めのハイチ革命の結果、キューバへ来たハイチ移民は、純血、混血、奴隷、自由な黒人問わず皆フランセス(フランス人)と呼ばれた。その後この移民たちの子孫としてキューバで生まれた世代や、さらにはフランス植民者によって買われ、後にハイチを脱出してキューバにたどり着いたアフリカの様々な国出身の奴隷たちまでもが一様にフランセスと呼ばれた。

 文化が発達する初期段階より元来発達した文化を持つ彼らは、主人の言語であるフランス語に、独自の文化要素を同化させた。それらの言語は彼らの母語ではなかったが、サント・ドミンゴ島のフランス支配下の地域で起こった異言語との交じり合いにより、クレオールまたはパトワ(訛り)となった。キューバでは、彼らが持ち込んだ文化的特色の名残りとして、このパトワは彼ら自身の言語として保持された。まさに彼らは、新たな社会経済的関係によって決定された新たな文化の融合過程に再び付き合わされることとなったのである。

 フランセスという名称は、人間のみならず彼らを取り巻く全て、すなわちダンス、楽器、カビルドやグループにも広く用いられた。この名称により、一方では社会的地位が高いかの様に装うことが出来た。また一方でハイチは、18世紀最後の10年間ヨーロッパ諸国のアメリカにおける植民権力に対する破壊活動の中枢であった為、ハイチ人と名乗ることでキューバのスペイン植民当局との関係が危うくなったかも知れない為フランセスと名乗った方が良いと考えられた。

 トゥンバ・フランセサのグループは、そうした移民の初代の子孫たちが集まり、その後多くのキューバ人も混じってきて、彼らが行っていたとりわけ初期の祝祭の数々を徐々に統合しながら19世紀最後の数10年から20世紀初めの数10年の間(全盛を極めた時代)に急速に発達した。

 しかしながら、全てのフランス移民の奴隷がカビルド・フランセス(ハイチ人のカビルド)の一員となった訳ではなかった。彼らの多くは初期の祭礼から遠ざかり、より直接的な形でキューバ国民に統合されて行くようになった。母国語を話すのを止め、ハイチから持ち込んだ文化や伝統との繋がりを失いながら、この植民社会における別の活路を自ら見出していった。

 カビルド・フランセスは、アフリカ人奴隷や自由な黒人グループの加入、またフランス人の雇い主や先祖の所有者の苗字を使い続けた移民の子孫たちとの統合により増大した。そんな事からも、娯楽行事、すなわち特定の行事における祭礼の中心が、彼らの民俗的要素がキューバで、多様な功業をともなう全ての文化の融合過程を通してもなおフランスのエッセンスを失わずに今日まで継承された主要な誘因であった事は理解できる。前述した繁栄期の後は退廃の様相をきたし、今日ではわずか2つのカビルドを残すばかりとなった。

 カビルド・フランセスは、初期の習俗や歴史がキューバ文化の特徴を作り上げた要素の源となっている。今日その音楽や踊りは、キューバの村落の独特な文化的特徴となり、また東部地域のコンガやコンパルサといった都市近郊における芸術文化にも直接的または間接的に影響を与えた。

 カビルド・フランセスの生活は祝祭を通して発達したのだが、その祝祭はソリストもしくはコンポシ(唄い手のリーダー)による唄、トゥンベーラのコーラス、マヨールもしくはマヨーラ・デ・プラザ(男性もしくは女性の責任者)演出のダンス、ソロダンサーたち、ドラム奏者、指示役のスタッフと全ての基本的な構成の決定を担う役割の者(かつては王や女王)から構成されている。

 マヨールもしくはマヨーラ・デ・プラザには指示を出す役割があり、祭礼の一連の場面の段取りに関わる全ての準備をおこない指示を与える時に笛を鳴らす。どのペアが踊り、メインダンサーの右手をとり、何周踊ってから丁寧なお辞儀をし、その後パートナーへ戻すなどといった踊りの構成なども決める。

 ある時はマヨールもしくはマヨーラ・デ・プラザは2人のダンサーを伴い、自らが間に入って一方の右手ともう一方の左手をとり(次にそれぞれの逆の手をとり繰り返す)全員が前を向いた状態でつないだ両手を高く上げながら2人をターンさせ、ドラム奏者(またはコーラス)の方へもう一度ターンさせながらステップを踏み最後のターンの後に元の場所に戻す。一般的に、女性は大きな布(foulards)を持ち頭の高さまで上げる。

 コンポシは祝祭の中心人物であり、そう呼ばれるソリストは唄の歌詞を作り即興で唄ったり、また時にはコーラスのディレクターともなる。

 トゥンベーラと一般に呼ばれる女性は、コーラスを構成する。彼女たちはダンサーでありまた唄い手でもある。祭礼での衣装は明るい色の、襟ぐりの深いタイトな身頃に裾が大きく広がったフリルドレスで、ベルトはなく、刺繍やリボン、レースの差し込みで装飾され、良く糊付けされアイロンがかけられている。ペチコートもまた糊付けされたレースの付いた足元まである長いものである。頭には布を美しく結び、手にも大きな布を持つ。深く開いた胸元にはネックレスをつけ、その他大きなイヤリング、ブレスレット、派手な石をはめ込んだ指輪などをつけ、チェーンの飾りの付いた扇を持つ。

 男性の衣装は通常白のシャツとパンツである。以前はコートにシャツとタイという格好であった。踊る時には大きな布を肩にかけて結ぶ。男性も女性も、踵が低く履き口が広くゆったりと開いた靴を履く。

 祭礼で使われる楽器は、トゥンバと呼ばれる3つの大きな片面皮ドラム、丸みをおびた形状のカタ(丸太をくり抜いた打楽器)、そしてマソンというダンスに使用されるタンボーラと呼ばれる両面皮ドラムである。トゥンベーラやマヨーラ・デ・ラ・プラザが持つ金属の鳴り物はチャチャと呼ばれ、常にドラムのビートをサポートする。

 3つのトゥンバはプレミエール、ブラ、セゴンと名付けられており、演奏においてそれぞれ異なる役割を持つ。プレミエールは3つの中で最も大きく、皮の直径も一番大きくて低音を出す。曲の中では最後に加わり、技巧に溢れる即興演奏をおこないアピールする役割を担う。ブラはプレミエールより幾分小さく、皮の直径も小さい。音域もプレミエールより高く、ポリリズムの進行の中で多様な音のリズムパターンを維持する役割がある。トゥンバ・フランセサにおいて、決まったリズムパターンを演奏するドラムの中では、ブラが最も豊かなリズムと多様な音を表現する事ができる。

 3つ目のトゥンバもまたブラである。ブラ・セゴンもしくはセゴンは、ブラとほぼ同じ大きさかやや小さく、ブラと同じリズムを演奏するが、ダンスの中で決められた特定の場面では演奏しない。

 3つのトゥンバには木栓と紐で皮が張られる。また、皮の上にはギター弦が中心を通って渡され、両端を皮の周りのリングに結んで留めてある。この弦にはドラムの音色の可能性を広げ、皮の振動でより複雑な音を作る機能がある。

 カタは高く鋭い音の木琴(丸太をくり抜いた打楽器)で、ソリストの唄が始まった後に入り、ダンスが続く間中、一定のリズムパターンを叩き、ドラムのバリエーションの土台となる。

 トゥンバ・フランセサのダンスは元々数多くあったようであるが、既にいくつかは消滅し、ユバという今日まで残ったものに統合されたと考えられる。GrayeもしくはGrayimaそしてMangansilaといった名称だけが残るものもあるが、年長の熟達者ですらそれらが各々どういったリズムとダンスステップなのかを明確にする事ができていない。

 カビルド・フランセスには2つのダンスが残っており、ひとつはマソンという最後に統合されたと思われるもの、もうひとつはユバである。マソンはペアダンスで、20世紀初めに若者を魅了した祝祭の踊りである。フェルナンド・オルティスによると、マソンという言葉はフランス語のメゾンに由来し、奴隷たちが邸宅で主人たちが踊っているのを見て真似たものである。伝統的に全てのトゥンバ・フランセサの祝祭はマソンで始まる。

 現存する最も古いダンスはユバで、一連のリズムの中でダンスステップと、恐らく別の独立したダンスのものであった要素が繰り返される。この事から、ユバはマコタやコブレロのリズムでも踊る事が可能であると言える。ユバの最後はフレンテで、リズムと振りやステップが突然変化する構成のダンスである。

 フレンテでは、プレミエールとブラは横にして置かれる。このダンスはプレミエールの即興演奏とダンサーの複雑なステップのバトルから成るもので、ダンサーは色の付いた布を体に巻きつけ、ダンスエリアの中心でかつドラムの正面となる所で、ドラム奏者の即興演奏と勝ち負けがつくまで踊り続ける。

 この祝祭は15~35分のいくつかのセッションを、途中コンポシを代えたり、甘いものを摂って休憩をしながら一晩中続けられる。

 この収録は1976年7月にサンタ・カタリナ・デ・リッチスというグアンタナモのカビルドで行われた。掲載の写真は、この日の祝祭で撮影したものと以前の研究過程で撮影したものである。ここに収められた曲や唄は、これらのカビルドについての情報と同様アルヘリエス・レオンと彼の生徒たちであるオラボ・アレン、ダニロ・オロスコ、イダルベルト・スーコを含む研究チームの一連の成果によるものである。
この収録曲は、オラボ・アレン編集の旧版にも収録されており、1979年にベルリンのフンボルト大学で行われた博士論文の添付資料として発表された。A面はアレンの企画により各ドラムの個々の音にそれぞれカタが入ったものが収録されているのだが、彼は後にこの論文で扱われた録音の譜面化に着手した。B面にはマソンで始まり次にユバといった祝祭の全ての音源が収められている。この録音には、(学術論文用の研究であるため)オラボ・アレンの提案による以前の録音も全て収められました。


Antología de la música afrocubana.
Liner notes by María Teresa Linares. EGREM. col.0011.



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コメント

_ vacunao@gmail.com ― 2011/02/21 21:33:10

こんにちは。
東の踊りは、CFNCもいいけど、やっぱ東の群舞が好きですね。最近はハイチアーノのビデオも結構UPされてるけど、代表格のCutumbaから選んでみました!
Mason
http://www.youtube.com/watch?v=UQJUbRIHWnk&feature=player_detailpage
Yuba
http://www.youtube.com/watch?v=5qUXiPYohv4&feature=player_detailpage
Frente
http://www.youtube.com/watch?v=GFgZF7orxlU&feature=player_detailpage

_ 庵主 ― 2011/02/21 21:51:17

> vacunaoさん
群舞のリンクありがとうございます。
やはり映像で見ると一目瞭然ですね。
ホントは、HTMLで書いて文中の文言から映像とか画像にバンバン飛べるようにリンク張ればいいんですが、そこは元来ものぐさなもので…

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