05 Fiesta de Tambor Yuka - ユカドラムの祝祭 ― 2011/02/05 23:46:01
16世紀半ばからキューバの東部地域へ入植した多様なグループには、カナリア諸島から家族とともに入植し耕作に従事した者や、砂糖キビ農園やコーヒー農園での労働に従事させられた多数の奴隷がいた。18世紀には、カナリア植民者によって独占的に栽培されたブエルタバホ葉巻の品質が認められ入植は一層進んだ。そしてフランス人の入植とともにコーヒー栽培も盛んになり農業技術も向上し、砂糖の生産もさらに大きく発達した。それらに伴い奴隷の需要も増え、より多くのコンゴ人奴隷が連れて来られた。彼らは、その強靭な体力と忍耐力をもって厳しい肉体労働に従事した。
1886年に奴隷制度が廃止され、その後の独立戦争が終わると、これらのコンゴ人グループは国内の入植によって減少し、いくつかのグループがヌエバ・フィリピーナ(現在のピニャール・デル・リオ)の山間部に残るばかりとなった。ここで彼らは小さな村々を作り、近隣の地域で農業や製造業に携わった。
密林の交通の便の良くない辺鄙な土地にもかかわらず、彼らは日曜ごとに、植民時代に奴隷小屋で始まった習慣であるユカドラムの祝祭の為に集まった。このピニャール・デル・リオ州の社会は、以下の2つの点によって特徴づけられるものであった。州の特に中心部から西部に密集してはいたが、全ての自治都市のメンバー間の民族統一と移民者間の交流により生まれた相互関係にある。この団結は、競争心をくすぐる祭式の特性によるものであり、各コミュニティーから集まったソリストが饗宴の中で自讃の唄により相手をからかったり、または非難するといったものであった。
異なる移民グループ間の経済と社会の接合と共存関係により、今日に至るまでその踊りと音楽は、比較的広範囲の地域に渡ってあまり変化する事なく残った。これは他の地域には見られない事である。この祭礼に関して、ピニャール・デル・リオと他州のコンゴ人グループの発達の最も顕著な違いのひとつは、カビルドなどの組織の不在に他ならない。なぜならこれは誰もが参加する事のできる世俗的なもので、カビルドやその他宗教団体に所属する必要がなかったからである。オルティスは、植民時代からあった祝祭の禁止により地方への転換が起こったと指摘している。他の専門家たちもまた同様に、この禁令が遠隔地での存続に繋がったと述べている。
研究者メルセデス・パチェーコは数年前、”Atlas de la Cultura Popular Tradicional”を作っていた学術グループの前で、エル・グゥアヤボという地域の祝祭を再現した。その場は枝で装飾され、広い地域から伝統を知る者たちが招かれユカドラムの祝祭がいくつか録画/録音された。The Comision provincial del Atlas(現在のCentro de Cultura Comunitaria)は今日に至るまで、この団体の活動への参加を続けている。
エル・グゥアヤボでの収録は、EGREM(レコード会社)の技術チームによって行われた。監修は、音楽学者マリア・テレサ・リナレス。その他、レコーディングエンジニア、技術助手、カメラマン、そしてICAIC(キューバ映画芸術産業庁)による遠隔操作装置を用いた効果の為にトラックドライバーも集められた。録音機材は、NAGRAのものが使用された。ピニャール・デル・リオ州の”Direccion de Cultura”はミュージシャンを招集し、上は100歳になる元奴隷の息子から、下は彼にcantos de puya(相手をからかい自らを誇る内容の唄)を習わなければならない若い世代までが参加した。即席で再現されたこの収録の演奏で使われたドラムは、彼らが長い間使用してきた古いものである。
ユカドラムの祝祭は、仲間うちのカジュアルな集いで、アグアルディエンテ(初回の蒸留で得られたラム酒:一番絞り)を飲み、グァバの枝でローストした豚肉を食べ、踊り、唄い、そしてその激しく攻撃的な様子からgallos(雄鶏)と呼ばれるソリスト同士のコンテストが行われる。Baile de yukaは、キューバ全土で見られるバントゥー族由来の世俗的な祝祭の踊りである。これに似た踊りには、baile de makuta(マクータドラムで踊られるマクータダンス)、baile de mani(ピーナツダンス)、そしてルンバの古い形であるlas tahonasがある。
ユカドラムのアンサンブルは、3つの片面皮のドラムから構成され、それらは通常アボカドやアーモンドといった芯が柔らかい木をくり抜き、1本の木からサイズの異なる3つのドラムが手作業で作られる。太く長い部分(約1.5m)からはカハが作られる。残りの部分からは中小のそれぞれムラ、カチンボと呼ばれるドラムが作られる。予め水漬け、なめし、伸ばし等の処理をされた円形の牛皮を広い開口部の方へ釘留めるする。その際には、灯心の火の熱で張りや音の調整がなされる。
カハ奏者は、両手首にmaraquitas de guira cimarrona(ンケンビと呼ばれる瓢箪の実から作られた小さなマラカス)をつける。他の奏者は、ブリキで覆われた、ドラムの底部を撥で叩く。これはグゥアグゥアと呼ばれる。カハには即興演奏と「話す」という役割があり、変則的なリズムでダンサーのステップと掛け合う。ムラとカチンボは、よりリズムを維持する役割があるが、これはルンバの様な他ののアフロキューバのアンサンブルと同様である。その為、これらはトゥンバ、トゥンバドール、またはリャマドール(もしくはタホーナ)とも呼ばれる。イディオフォノ(金属製の打楽器)も必須であり、これは鋤刃や鍬刃(guataca)を鉄製の撥で叩く。他にはマリンブラ(木琴の一種)またはボティーハ(丸型の土瓶)、グィロ(中空の瓢箪の外側のギザギザを擦って鳴らす楽器)、そして田舎のソンのアンサンブルに由来すると思われるマラカスがある。
ユカの踊りはルンバの様に、男女ペアで恋愛沙汰をベースに向かい合って踊る。踊りには、ロンキードとカンパネーロという2つの特徴的なステップがあげられる。ロンキード(いびき)は、横から連続して踏むステップで、後に前方へ進んでいく。カンパネーロは、男性がパートナーと向かい合い、腰や手を激しく揺らし、床に対して八の字を描くように踊る。カハのビートやllames(呼びかけ)は、踊りのガイド役になる。これはルンバ同様ドラムのリズムとダンサーの呼応との密接な関係がそこに存在するからである。
唄はソロとコーラスによる短いモチーフと、通常高音から低音へ移行する装飾的なフレーズから構成される。ソリスト(Galloともいう)は、歴史や神話の一説をモチーフとして即興的に唄い、後にコーラスがそれを反復して唄う。
バントゥー族の言語や方言はほぼ完全に消滅し、コンゴ族の言葉の一部が残るのみとなったが、これらにもその語義としての機能を失ったものもある。歌詞は、奴隷として連れて来られた祖先が話していたアフリカ訛りのスペイン語やヨルバ語、エフィク語、もしくは後にキューバの口語となったスペイン語のcalóで作られる。歌詞のリズムと表現には、コンゴの特徴が見られる。メッセージやPuyas(相手をからかい自らを誇る内容の唄)は謎めいたニュアンスが特徴的であるため、包括的な意味もまた不可解である。Puyasや自讃の唄は踊りの優れたスキルや優れた魔力を示すためのものである。
唄は通常他のソリスト(Galloともいう)が、別の唄で”arrebate el canto”(唄を盗む事)によって遮らない限りは続けられる。これには、彼らの愉快な様子や笑いが音楽と踊りに付随する。
この収録では個々に唄、議論、ドラムのビート、100歳の男が古来の唄を唄い始めてソリスト(Galloともいう)が彼に続いて唄っている曲、そして祝祭の喧騒を録音した。この音源からユカの明るい性質や健全な喜びを認めることができるだろう。
収録は1978年3月24日にピニャール・デル・リオのルイス・ラソの丘にあるエル・グゥアヤボにて、地元のグループにより行われた。彼らは、ドラム演奏とコーラスを伴う唄を交代しながら演奏した。
ペルフェクト・リヴェラ・カラバリョ 98歳(リードボーカル)
アルマンド・カバレロ 78歳(農業従事者)
ドミンゴ・バリオス・イ・リオス 53歳(ソリスト)
ルイス・バルデス 61歳(農業従事者)
アリピオ・リベラ・イグレシアス (農業従事者)
ファウスティーノ・リベラ・イグレシアス (農業従事者)
フアン・リベラ・チャコン 32歳(農業従事者)
■ 収録曲
1. ユカドラムのソロと唄 3:23
2. 祝祭とリフレイン 15:00
3. Gavilan pollero 5:00
4. Ma Lutgarda 4:30
5. Llora, llora Magdalena 5:00
Antología de la música afrocubana.
Liner notes by María Teresa Linares. EGREM. col.0011.
※ 誤字/脱字、誤訳や不明点など御座いましたらお気軽にコメント欄からご指摘下さい。コメントの内容は、私が内容を確認した後に公開出来るように設定されていますので、コメントの公開を希望されない場合は、その旨コメントにご記入下さい。
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04 Musica Arara - アララの音楽 ― 2011/01/29 16:28:48
殖民時代のキューバで増大した奴隷にはダオメー地域出身者も多数おり、彼らは一般的にアララと呼ばれた。アララはそれぞれの故郷は異なるが、共通する文化を持つ多様な民族や部族から成るグループである。
カビルドにおけるグループ分けは、他のカビルドと同様に、新しい生活に適応するための変化を伴いながらも、アララの宗教や芸術文化を継承した。彼らは支配階級の文化的抑圧に屈することなく、次の世代へ口述伝承をおこない、遠くダオメーの祖先の習慣や説話、音楽や踊りを連綿と継承していった。
アララのカビルドは17世紀に創設され、メンバーの出身地の相違が反映され他の宗派の間ではそれぞれアララ・サバルー、アララ・マヒノ、アララ・ダオメーと呼ばれていたが、どうにか民族的、文化的統合を妨げるまでには至らなかった。
昨今ではこうした信仰は消滅の一途をたどっているが、これは教育と、歴史上これらの宗教活動を束縛されてきた人々の文化レベルの発達の論理的な結果である。その存在は、地方自治体のペリコ、マキシモ・ゴメス、ホベラノスとマタンサス・シティといった限られた地域にまで減少している。
収録されている唄とリズムは、1981年6月15日、Agrupacion Folklorica de Jovellanos “Ojun Degara”の拠点で録音された。このグループは、ほぼバロ家のメンバーによって構成される。彼らは昔の砂糖キビ工場「サンタ・リタ・デ・バロ」、現在の「レネ・フラガ」の奴隷時代にまでさかのぼるアララ・ダオメーの伝統を継承している。この一家の主要人物はエステバン・バロで、20世紀始めにホベラノスにて、彼らの祭式を公に執り行うためにその地域の全てのアララ儀式の従事者を集める目的で“San Manuel y sus descendientes”を創った。特筆すべきは、エステバン・バロはフェルナンド・オルティス博士に、彼の民俗学的、音楽的研究において非常に有用な情報を提供した事です。
長年に渡り、バロ家は伝統文化を維持するために多大な貢献をしており、特に伝統的なアララ文化である音楽や踊りを顕示するという思想のもと、Movimiento de Aflicionados de la CTC(キューバのアマチュア運動家連合)とSectorial Municipal de Cultura(文化内政セクター)と関係する民族音楽グループOjun Degaraを1977年に創立した事は重要な事実である。
この収録の1曲目は、部族が永遠の命と美を祈願して崇めた美しい鳥Ojun Degaraの伝説を唄ったものである。この古い唄がグループのシンボルであるという観点で、Ojun Degaraと名づけられ、公の演奏の場においてもテーマとして使われている。
次に収められているのは、唄の伴奏として最も特徴的な楽器のリズムである。各ドラムで演奏されるリズムパターンが、オガン(鍬刃)とチェレ(メタル・ラットル)のリズムを伴いそれぞれ演奏される。
残りの収録曲は、儀式の間の演奏順に従って収められた、フォドゥーセス(神々)と先祖を讃える一連の唄である。彼らの儀式によると、これらは以下のように分類される。
・ フォドゥーセス(神々)の唄。これらはlyawo(イニシエーションを受けた信者)を通して各フォドゥン(神)を儀式に迎え入れる目的で作られた。
・ クトゥトと呼ばれる、先祖を讃える唄。
・ 喜びの唄。フォドゥーセスが儀式に現れると、全員を楽しませるために唄われる。
最後の曲は、フォドゥーセスと先祖に儀式を無事に終えられたことへの感謝の唄である。
全ての曲において、ソロとコーラスの掛け合いにより構成されている。唄い手はハシモと呼ばれ、曲の構成とガイドの役目を担う。男女どちらでもなり得るが、ここではミゲリア・バロが務めている。
演奏は4つのドラムで行われるが、うち3つはやや円錐形のドラムで、胴の内側へつながる締め金を縄で締めて皮が張られている。もう1つは、皮が木栓止めされた小さな円柱形のドラムである。それらには赤、白、緑、青の線が描かれている。
ドラムは通常カハ、カチンボ、ムラと呼ばれ、これらはユカドラムと一致しているのだが、事情通によるとこれらはフンガ、フンゲデ、フンチート、フンと呼ばれるようである。フンガは一番大きなドラムで、撥1本と叩き手の左手で即興で演奏される。フンゲデとフンチートは同様のサイズで、撥2本で演奏されるが、前者はスターターの役割を、後者はテンポを維持する役割を担う。フンは撥1本で演奏されるが、このドラムの役割はフンチートと同様であることから、常に使われる訳ではない。
これらのドラムに3つのイディオフォノス(金属製の打楽器)が加わる。オガン(鍬刃)は鉄棒で叩いて鳴らし、2つのチェレはメタル・ラットルである。
アホスィの2曲めは手拍子がつくが、これは唄い手が自身で行う。これはアララグループの特徴である。またアララの儀式やOjun Degaraの序奏では、それぞれの唄に象徴される神の特徴を表す装束による踊りが伴われる。
■ 収録曲
1. Ojun Degara 2:39
2. フェレケテ(ドラム) 1:57
- オガン、チェレ
- オガン、チェレ、フンチート
- オガン、チェレ、フンゲデ
- オガン、チェレ、フンガ
- 全楽器
3. ダルアー(ドラム) 1:34
- オガン、チェレ
- オガン、チェレ、フンチート
- オガン、チェレ、フンガ
- 全楽器
4. フラホ・タトゥオ 0:56
5. アルグェ 1:12
6. アフアングン 2:22
7. クトゥト 2:41
8. エビオソ 2:13
9. フェレケテ 2:26
10. フォドゥ・マセン 2:32
11. アダノ 2:32
12. ダルアー 2:41
13. アホスィ 2:15
14. アホスィ(手拍子) 1:53
15. オサイン・ソボラ 2:11
16. 喜びの唄 1:46
17. 喜びの唄 2:44
18. 喜びの唄 1:57
19. 神々への感謝の唄 2:24
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03 Musica Iyesa - イエサの音楽 ― 2011/01/15 13:12:20
1854年マタンサス市にて、このカビルド(同じ民族グループに属する自由な黒人と奴隷の相互扶助組織。)はオルーラ(予知能力を備えた神)を崇拝する21人のババラオ(Ifaと呼ばれる神託を伝えることの出来るサンテリアの司祭)達によって創立された。
これら21人のババラオは皆、奴隷としてアフリカのイエサ・ランドから連れ出され、後に開放されたもの達であった。彼らは、マタンサスのヨルバ地域出身者のカビルドであるサンタ・テレサ会で出会った。これは、新たにサン・ファン・バウティスタ会の理念のもと始動したイエサの黒人男性によるカビルドである。
現在(1977年)は、ファン・デ・ディオス・ガルシアにより主宰されている。彼はシプリアン・ガルシア、すなわちこのカビルドの初代の長の息子である。この新しいカビルドはオグンの信奉のもとに発展した。オグンは強い戦士であり、刃物や鍛冶など全ての鉄の神である。マタンサスのサラマンカ187番地にある家では、このオグン・アレレがサン・ファン・バウティスタの像に象徴されて守られているが、この事はアメリカに奴隷船が渡り、アフリカの多様な宗教とスペインのカトリックの融合現象にもなぞらえることが出来る。
他のイエサのカビルドは統合され、そのうちハバナにあった2つは既に消失している。現在(1977年)までのところ、このマタンサスのサン・ファン・バウティスタ会のみが機能しているとみられる。
かつてヨルバ・ランドにおいて重要な町であるオヨの西に至るまで、他のヨルバグループにも多大な権力を及ぼしていた小さな王国イエサ・ランドの伝統は、創立者である21人のババラオの子孫たちによって今日も守られている。
イエサ・ランド(Iyesa、Yesa、Iyessa、Yecha、Iyechaなどの様々な表記がある。)には2つの首都があり、ウレチャには女性が、イボクンには男性が住んでいたとされている。ウレチャは地方、イボクンは都市であった。
我々の調査によると、オサインという家の玄関の守り神、そして狩人のオチョーシ、オグン、オルーラ、そしてオチュンがイエサ・ランドから来たとされる。
一般的にイエサの音楽は、少なくとも我々が把握している限りでは、バダドラムやグィロ(チェケレ:ビーズや種子を通した網で覆ってあり振って鳴らす楽器)を用いたものと比べるとそれほどシンプルで統合されたものではない。
イエサの楽器は、ヨルバ由来の他のアンサンブルよりもその音においてよりパワフルである。三種の両面太鼓から構成され、大きなものはカハもしくはマイヨールと呼ばれる。これら三種のドラムは、イエサの祖先から受け継がれたドラムと考えられている。その後、キューバ独自にバスと呼ばれる低音の、特定の聖人のリズムを演奏するためのドラムが加えられた。
更に三種のよりパーカッシブな楽器がこのグループに加えられた。ふたつのセンセロ(カウベル)もしくはアゴゴという異なる音程と音質(ひとつはより鮮明な音で、もうひとつはややくぐもった音)を持つ楽器と、葬送歌に使われる小さなグィリート(小さなチェケレ)と呼ばれるビーズや種子のついた網で覆われた楽器である。
ドラム胴部の緑色はオグン・アレレの色である。緑はサン・ファン・バウティスタ像の衣装の色でもあり、深緑のヤシの葉を刈ったものが付けられている。オグンの祭壇には、様々な緑の植物とその他の象徴物が供えられ、オグン自身は三つ脚の古い鉄鍋の中に宿る。
イエサドラムはスギ材で、皮は山羊、締め紐はカニャモ・イスェニョという特別な麻で出来ている。締め紐についての説明をさせてもらうと、これはたいていN字やジグザグ状であるが、柳のリングで押さえて張られた皮の縁から直接つなぐ代わりに、締め具の縁と胴に通した紐のラインにそれぞれ交差しないように繋げられている。これと同じ方法はアフリカから来たほかのドラムにも用いられている。これらの補助的な紐に宗教的な意味はなく、皮の周囲にさほど精密ではなく張られている。張りはN字の紐を2本ずつ綴じている横紐によって仕上げられる。
このドラムのハラール(引く事)すなわち皮を張る手順は、皮を幾分湿らせておき、乾いた紐で行われる。その後紐を濡らし、それが乾くにつれ皮はさらに張られて、彼らが言うところの「ピアノのような状態」になる。より大きな宗教性が求められる場合には、口に含んだアグアルディエンテ(初回の蒸留で得られたラム酒:一番絞り)がドラムに吹きかけられる。
音の調整をするにあたり、次の段階では特別なハンマーで叩いて張りの強さを加減する。これら神聖なドラムの張りの調整に熱を用いることはない。なぜならそこには一種神がかった、啓示を与えたり、慈悲を乞うたり、話したりすることの出来る力が宿っているとされるからであり、木材に神聖なドラムに使うための儀式を行い製造したもののみが知る秘密は注意深く守られる。
また、ドラムが神聖なものとなる為に、彼らは黒か褐色の雄鶏、ココナツ、トウモロコシの穂軸、そしてアグアルディエンテを食さなければならない。食事中には、1本以上の蝋燭が灯される。センセロ、グィリートや撥もこの食事の儀式によって然るべき祈祷がなされる。
食事が終わると、皮を張る工程にすすむ。撥(オパ・イル)は多数用意され、その大きさや重さも様々で、各演奏者はその中から技法や表現に合うものを選ぶ。イエサドラムは全てのアフリカが先祖の民族音楽同様、常に同じ種類のドラムが使われるが、音を厚くするために、それぞれ異なる音を持つドラムを複数組み合わせて演奏される。バタやオロクンドラムは、より豊かな音程や音色を持っているので、技法によって異なる音を出すことが容易である。
一方、これらイエサドラムのように、音色を変えるのに皮の色々な部分を叩くという技法をとらないものは、全体の音域は下がる。カハと他二つのドラムの音域の差はより大きくなることが認められる。他二つのドラムは、はっきり区別された役割を持つ。また他二つのドラムの間には、リズム装飾を伴い一定のビートを刻むもうひとつの役割がある。
キューバで加えられた第4のドラムであるバスは、ほとんどいつもカハをサポートする形で演奏されるのだが、これは明らかに、かつてイエサランドの地からカビルドの創立者の一人として渡ってきた最初のドラム奏者とは、世代的にはそれほど離れていないものの、祖国から離れたことにより精神面での喪失が生じ、現在ではほとんど儀式の為だけに演奏される、音楽表現に要する情感なども失われたからである。
同じ事は二つのセンセロとアゴゴにも起こり、これらはドラムとは異なる意味や表現法でひとつのリズムを形作る時に組み合わせられる。
センセロのリズム形態は、我々が現在までに知りえた限りでは、ふたつの異なる表現や様式に限られる。一定の短い様式も形成するが、これは非常に短い音で神罰への脅威を表すものである。これら全てのリズム構造には、それぞれ規則性があり、異なる表現目的に合わせて独自のダンスと密接に関連する音楽に用いられる。
これらイエサのリズムは、大きく二種類のグループに分けられると考えられる。ひとつは、エレグアやオグンのように荒々しく大きな音の強いリズムと呼ばれるもの。もうひとつは、オチョーシのようなより軽いと称されるリズムで、これはルンバにやや似ていると教えられた。いくつかのビートは、速くて細分化された緻密なタイミングで表現されるリズムで、その一方あまり細分化されない柔軟なリズムもある。
ソリスト(アプウォンまたはアコリン)の唄で曲が始まり、カハが入り次の唄い手へのリズムを示し、その後残りの楽器が入るという形を認めることが出来る。バスは常にカハに従う。ひとたびその神の曲が始まると、唄い手がやめない限りはひとつのリズムが続き、その後絶え間なく次の唄へ移るという一連の流れがある。バタの曲では、その神についての一節が変わるたびに一連の流れが止まることはない。これらは恐らくキューバで改変されたものか、アフリカから持ち込まれたものであろう。コーラス(バサロ)は、ソリスト(アプウォン)の主旋律から引用したフレーズをモチーフとして応える。このソリストとコーラスの呼応は、キューバ音楽の最も特徴的な要素のひとつである。
ここに収められている曲は、1977年7月にカビルドの会堂で収録された祭式の始めの神々への挨拶として作られたオルの唄とリズムである。ソリストのアドルフォ・マス・カルタヤは30年以上ソロを勤めている人物。ドラムはカビルドのベテランであるロレト・ガルシア・ロペス(100歳)、アンヘル・ペリャディート・フンコ、サビーノ・ガルシア、若手のカルロス・チャステレイン・デ・アルマス、ガストン・ロペス・ガルシア、エルピディオ・ロペス・ガルシア、ロレンゾ・ウルティア、そして最年少のバルバロ・マス・ラマール。コーラスは、ディレクターのフアナ・バウティスタとフアン・デ・ディオス・ガルシア、アンヘル・ガルシア、エンリケ・メサ・セスペデス、アメリア・サンチェス・ガルシア、リドゥビーナ・ミロ・プラツ、マニュエラ・スミス・カノ、イライダ・ドミンゲス・ラマール、マグダレーナ・アルダサバル、エルナンデス、エバ・ローサ・ソカ・ザネッティとその姉妹のセランダ、フアナ、レイダ、レグラ、オイルダ、そしてルイス・マス・ラマール。
ここでは異なる楽器の個別のリズムを含め、続いてエレグア、オグン、オチョーシ、ババルアジェ、アガユ、チャンゴーの唄、そして結びの唄のアセレヨ・デ・エレグアが収められている。
■ 収録曲
1. ソロ・ドラム - 1:55
2. エレグア - 2:17
3. オグン - 2:09
4. オチョーシ - 2:01
5. ババル・アジェ - 2:13
6. オバタラ - 2:17
7. ジェガ - 2:24
8. オヤ - 2:09
9. オチュン - 2:50
10. イェマヤ - 2:50
11. アガユ - 2:31
12. オルーラ - 2:22
13. アセレヨ・アニャ・エレグア - 4:08
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02 Oru de Igbodu – 太鼓のみの演奏 ― 2011/01/10 22:18:09
奴隷時代にアフリカ各地からキューバに渡った中で、ヨルバの文化がもっとも広く根付いた。他のアフリカ文化の要素は、その特徴に固執することなくしだいにキューバ人の中に溶け込んでいった。数多くのヨルバ民族がキューバに渡ったが、彼らの文化はすでに発達しており、近代までもたらされたのだと見られる。キューバでは彼らはルクミとして知られ、使用人ならびに他の作業にあたる奴隷として使われた。
ヨルバの音楽や踊りについては、フェルナンド・オルティスなどの研究者による多数の文献や、芸術または文化作品により、仔細に知ることが出来る。
ヨルバ文化で今日においてもなお多くの宗教儀式に見られる三組の楽器はバタドラムであり、神聖な楽器とされる。聖人の誕生日といった祝祭などでは、瓢箪や空洞状の果物をビーズのついた網で覆ったアブウェもしくはチェケレとベンベ・ドラムというキューバ中央部で広く用いられている楽器が使われる。
洗礼の儀式はバタドラムによって執り行われ、これはバタでイヤウォ(洗礼後、最初の年に与えられる名前)を贈るものである。またバタは、葬式や先祖の追悼などの儀式でも神聖な太鼓として使われる。これらの儀式で使われる前には、バタの清めの儀式がなされなければならない。
三つのバタドラムとは、一番大きく低音で語り手の役割を持つのがイヤで、中くらいのものがイトテレ、一番小さなものがオコンコロである。それぞれ両端に大きさの異なる皮が張られている。膝の上に横にして置くか、革紐で腰や首から提げで演奏される。片端へ次第にすぼまった円柱形である。両端に張られた皮は、N字状に渡された革などでできた何本もの締め紐で繋がっている。イヤの両端にはチャウォロというベルやカスカベレ(特別な形の小さなベル)が付けられ、ドラムと伴に鳴る。儀式で用いられるファデーラ(大きな皮の中央部に貼り付けられる環状の樹脂)は、一番大きな皮の音を変化させるためのものである。これらのドラムもまた、祭式の前には特別な儀式を受ける。
祭式の始まりには、オルバタといわれるドラム奏者達が全ての聖人や神に祈りの演奏を捧げる。これがOru de Igbodu(または、Oru Seco)である。フェルナンド・オルティスは「Oru de Igboduは、楽器のみで唄は入らない。リズムはバタドラムのみで作られるが、ふたつのチャウォロの金属音も付け足されている。」と述べている。Oru de Igboduは、礼拝の始まりの呼びかけの演奏から成るバタのモユバ(祈祷:ヨルバ語)で始められる。しかしこのモユバや聖人との会話が常になされる訳ではない。
二十四の聖人がいるが、今ではその地でよく知られている聖人だけが登場するようになった。常に冒頭ではエレグア、オグン、オチョーシの三戦士から始まる。それぞれにヴィロと呼ばれる変化するリズムパターンがある。しかしこれらも次第に忘れられてきている。オルティスによると、これはアフリカからバタが持ち込まれたハバナ周辺の地域でよく見られる。一方マタンサスでは、それほど複雑ではなくヴィロやバリエーションも少ない。
マタンサス市のヴェラルデ通りにあるリカルド(ファントマ)スアレス氏邸では、このバタドラムの演奏と古い唄をいくつか収録することが出来た。彼は最も尊崇されているオルバタのひとりで、然るべき儀式を経て作られるドラムの製作技術の専門家であり、またルクミ語と最古のリズムと唄を知る人物でもある。この収録曲では、三つのドラムの計六面から奏でられるそれぞれ違う音程の音がチャウォロの音とともに、オリシャとの会話を確立する役割を果たしている様を聞くことが出来る。
アルヘリエス・レオンは、「この低音域の楽器において、多様な奏法により作られる異なる音色が【話す】というリズムを非常に象徴的にあらわし、これにより奏者はヨルバ語の抑揚で繰り返される【話す】、【言う】事が可能になる。これは特にイヤの演奏技術によって成されるものである。」と述べている。
およそ四十年前にはまだ、ヨルバ語の短いフレーズを模して演奏し、それにパルラを用いて応えるという会話の出来る老練な演奏家もいた。(五曲目のオルーラでは、マエストロであるフリオ・スアレスの演奏によるイヤで唄われるフレーズをはっきり聴くことが出来る。)中音と高音域の楽器は、リズミカルなパターンを繰り返し演奏する。このリズミカルな装飾は聖人や神話の場面(オリシャの道と呼ばれ、それぞれの神の逸話のようなもの。)によって変化する。「リズムのコンビネーション、特にバタとイエサドラムでは、ソロで演奏するのか唄に合わせて演奏するのかによって、発話のリズム構造と一致してヒン、カ、カンといった擬音節を用いて口述伝承されてきたパターンや構成に従って演奏されるのである。」(レオン)
オル(オリシャの為のリズムと唄を用いた礼拝)は、常にエレグアすなわち祭式の始まりと終わりの神のリズムで始まる。それにオグン、オチョーシ、ババル・アジェ、オルーラ、アヤクタ(アヤン・ンコ・タ)からアガユ、チャンゴー、オバ、オヤ、イェマヤ、オバタラ、オチュン、ジェガ、そしてイベジと続く。最後がエレグアではない。なぜならオルの後も異なるオリシャへ捧げる唄や踊りが続くからである。祭式は最終的に、オリシャまたはその家の聖人への唄が数多く唄われた後に、エレグアへの別の唄で終わる。この家もしくはイレ・オチャでは、この家にとって最も代表的な十五の聖人のみが演奏されている。場合によっては、ラ・ハバナのドラム奏者によるものとはかなり異なるリズムパターンが使われている。これは彼らの知識や宗教的な階級ゆえに、崇拝するグループを大きな祭礼に招かないという意味ではない。
フリオ・スアレスの知性や品格そして寛容な人柄を偲び、敬愛と追悼の念を捧げる。
■収録曲
1. エレグア - 2:37
2. オグン - 1:28
3. オチョーシ - 2:22
4. ババル・アジェ - 1:15
5. オルーラ - 1:26
6. アガユ - 1:32
7. アヤクタからアガユ - 1:26
8. チャンゴー - 3:10
9. オバ - 2:46
10. オヤ - 2:03
11. イェマヤ - 4:36
12. オバタラ - 1:55
13. オチュン - 1:50
14. ジェガ - 1:15
15. イベジ - 0:35
16. チャンゴーの古い唄(ソロ:フリオ・スアレス) - 2:18
17. チャンゴーのもうひとつの唄(ソロ:フリオ・スアレス) - 2:15
18. オグンの唄 - 1:42
Antología de la música afrocubana.
Liner notes by María Teresa Linares. EGREM. col.0011.
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01 Viejos Cantos Afrocubanos - 古いアフロキューバの唄 ― 2011/01/07 22:45:00
何世紀にもわたる忌まわしい黒人奴隷時代の間、多くの民が故郷アフリカの地からキューバに連れ出された。彼らは、異なる発展段階の多様な文化要素を持ち込み、それらはスペイン文化やまた別のより複雑に混ざり合った文化と遭遇し文化的衝突が生じた。その結果より機能的で優れた要素が残りキューバ音楽の長い歴史においても異文化の融合が生まれ、その独自性を持った新たな文化的産物は変化し続けながら今日に至る。キューバに元来あった土着の文化はかなり原始的で未発達であったため、わずか五百年ばかり前まで続いた征服と占領の歴史の中での融合のプロセスにはあまり影響を与えることがなかった。
何世代も経った今日もなお残存している多様なアフリカ文化が混じり合った中からひとつの要素だけが分離されるということはありえない。宗教儀式の音楽においてはほとんど変わることなく、かつて遂げた異文化の融合というものを信者や専門家を通して聞くことが出来る。
こうして他のグループと異なるより敬虔な儀式や唄を用いるルクミ・クルサードを信仰する者は、ルクミまたはサンテーロと呼ばれ、いずれもキューバで生まれたものでカトリック・ルクミグループとも呼ばれる。これらのサンテーロは、それぞれの儀式や唄の違いによってマタンサスかハバナか、または他の土地の出身かが分かる。多くの場合において、混和はその一族一門の中で生まれ、アバクア(男性のみの結社で、カラバル<カラバリ>などナイジェリア南部のエグポ<エグボ>(秘密結社)に由来すると言われる。)の誓いをたてた男性がいたり、パレーロ(バントゥー由来の儀式を行う者で、主だったカトリックの要素をミックスしている。)であったり、聖者(オチャやサンテリアのしきたりの教導者と呼ばれる者で、カトリックの要素を融合させている。)であったり様々である。この様にカラバリ、バントゥー、ヨルバの文化は入り混じり、それぞれアバクア、コンゴ、ルクミと呼ばれるグループに見ることが出来る。
現在では、アフリカの言語を記憶している者はごくわずかで、唄やパルラ(短いスピーチ:仏語)や礼拝で、言語の意味を理解しないまま象徴的に使われており、時にはスペイン語などに置き換えられている。
アフリカ由来の楽器の使われ方は多岐にわたり、宗教的なものから世俗的なものまで境がない。コンゴ由来のタンボール(ンゴマ)・アバリラド(樽型の太鼓)は、トゥンバドーラやコンガという名称でルンバやコンパルサで使われ、同時にコンゴのリズムと結びつく事もある。またルンバやサンテリアにおいては、小さなザンザやムビラがマリンブラという名称になり、やや形や大きさを変えて宗教音楽からソンなどのポピュラーダンスにいたるまで使われている。
異文化の融合過程や儀式、唄、ダンス、楽器の絶え間ない進化はそれぞれの環境に取り込まれ、我々が集録してきた古い唄やパルラや礼拝や儀式の唄などにその複合的な音楽的全景を見ることができるだろう。このCDを編集するにあたり、国内の様々な地域の音源を集めた。いくつかの収録曲は、演奏者をスタジオに呼んで収録したものもある。ルクミ・クルサードの儀式での唄は、サンチャゴ・デ・クーバ州のサン・ルイスで唄われているのだが、ここではヨルバの儀式とコルドンと呼ばれる精霊崇拝の要素が混じりあっている。ビリャ・クララ州からは、チャンゴーの祈りと唄、そしてモユバ(祈祷:ヨルバ語)を集めた。同じ機会に録った老齢の伝達者によるコンゴ・レアルの労働歌には砂糖キビ刈りの唄があり、この唄からは神のパワーを誇示しているのを主なテーマとして聴くことが出来る。
マタンサス州のペドロ・ベタンコートでは、バイレ・デル・マニ(ピーナッツダンス)と呼ばれる古い拳闘の踊りの唄を再現した。ハバナ州のワナバコアでは、他のバントゥーまたはコンガ由来の唄を、さらにポリネロ(保線区員:線路の枕木の修理工)の唄、ユカの踊りとそれぞれのリズムは、カハ、カチンボ、ムラと撥を用いて老齢の演奏者によって再現された。労働歌は本来の目的を失い、ポリネロ、砂糖キビ労働者、パン屋などの古い言葉だけが残っていた。これらの歌詞は、猥雑なものを除くと日々の仕事に関する皮肉や自賛の言い回しに基づいている。
ルクミやサンテリアは、彼らの故郷の文化の要素が多く残る儀式である。バタドラムはより宗教的要素の強い儀式で使われるが、形や名称もアフリカのものと同じで、これに加えてベルやセンセーロ(チャウォロと呼ばれる牛につける鐘のようなもの)が太鼓に取り付けられ音に変化を与える。同様のことが、ヨルバ由来のさほどオーソドックスでない限られた儀式で用いられるアブウェやチェケレにも見られ、外形や名称そして奏法は同じであるが、アフリカとは異なる環境での使用に合わせて材質や構造はある程度変化した。
既述してきたヨルバ由来の音楽のいくつかは、プラセタスではベンベドラム(中空の丸太の片面に皮を張った片面太鼓)での演奏を録音し、ハバナではバタドラムで演奏されたオドゥドゥアとオバタラの曲を録音した。
ハバナ州のヌエバ・パスでは、かつてバントゥー出身のグループによって演奏されたように、老齢の歌い手や太鼓の叩き手によってマクータの唄を録音した。
ハバナ市では、ルンベーロ(ルンバ・パフォーマー)の葬列の古い唄を一曲、手拍子の入ったアララの唄を二曲、そして古いルンバ・コロンピアを一曲選んだ。同市の別のエリアでは、ウェンバの唄とアバクアのエンカメ(短いスピーチ:エフィク語)を録音した。
■収録曲
1. エンカメ - 1962年 現地録音
アバクアの男たちが儀式で延々と自分たちのルーツの説話を語る。このエフィク語で語られるパルラをエンカメと呼ぶ。位の高いしかるべきメンバー(プラザ)によって語られ、その階級に相当する神聖なドラムで伴奏される。彼は他の階級のメンバーまたはコーラスと交互に唄い、曲は説話についての唄で終わったりする。
2. ウェンバ - 1962年 現地録音
アバクアにはそれぞれの儀式のための唄が存在する。それらは常にソリストとコーラスによって交互に唄われる。歌詞は、説話や伝説についてのものである。儀式全体にわたりアフリカ起源の宗派に属する一説が復唱される。ウェンバ(魔術)の唄は秘密の部屋またはファンバ(アバクア寺院)内で唄われる。
3. ババルー・アジェの唄 - 1950年 現地録音
サンチャゴ・デ・クーバ州のサン・ルイスでは、儀式の中にルクミ・クルサードと呼ばれるものがあり、これはサンテリアとペンテコステ教会の賛美歌の要素が融合したものから成り立ち、ヨルバのオリシャまたは神々について述べられている。この神は、カトリックのサン・ラサロと融合したものである。
4. エレグアの唄
他の宗派には同じくヨルバの神エレグアを崇拝するものがあり、エレグアは道や儀式の始まりと終わりを司る。この唄は、前述のものと同様サンチャゴ・デ・クーバ州のサン・ルイスでのルクミ・クルサードの儀式にて録音された。ボク(アシコ:キューバ名)と呼ばれる樽板でできた円錐形の太鼓で広いほうの開口部に皮を張ったものや、アチェレ(マラカス様の楽器)や手拍子で伴奏される。
5. 労働の唄 – 1948年 現地録音
我々が録音した全ての労働歌と同様に、この唄のメロディーは労働作業の動きに合わせたゆっくりしたものである。歌詞は自尊にあふれ、殖民時代から使われている十行単位の詩節から成る。唄は先導者によって始まり、それに対してコーラスが仕事道具のリズムで答えるというスタイルである。
6. コンゴの儀式の曲 – 1967年 スタジオ録音
パレーロの入会の祭礼では、ムナンソ・ベラ(マクータなども踊る秘密の部屋)で神霊にとり付かれて失神する者もいることがあるが、この唄は手やガラバト(木の枝で作られたスティックで、農作業を楽に出来るようにするために整形されている。)で床を叩きながら唄われる。ここで紹介している唄はアカペラで、一方でそれに呼応するコーラスは口を閉じて唄う。
7. ユカのリズムと唄 – 1948年 現地録音
砂糖キビ農場の労働者は、日曜日や限られた祝日に宴を楽しむために集まった。こういったコンゴの祝宴などはコンゲリアスと呼ばれ、近隣の砂糖精製工場からもグループが集い、拳闘ダンスで身体能力やリーダーの魔術的能力を競い合った。その後、ユカダンスと呼ばれるペアダンスが生まれた。
8. ユカドラムのソロ – 1948年 現地録音
古いユカドラムはアボカドやアーモンドの木の幹をくり抜いて作られており独自の名称がある。巧みに自由なリズムを刻む一番大きなものは話し手でありカハと呼ばれる。横木の上に乗せたボディにタンボレーロ(ドラム奏者)が座って演奏される。ドラムの胴をスティックでたたくか、ブリキのカバーのついた中が空洞の別の幹(グァグァと呼ばれる。)と合わせて叩く。中くらいのサイズのものはムラと呼ばれ、一番小さなものはカチンボと呼ばれる。
9. アソインの唄 – 1964年 スタジオ録音
キューバにはアララやダオメー由来の儀式がいまだに行われている土地がある。サンテリア信者の家の多くにはアソインが祀られているが、これはサンテーロ達によるとアララ・ランド(ダオメーではアルドゥラと言われる地。)の神で、ババルー・アジェと同一視され、またサン・ラサロもしくは聖人ラサロと融合したものである。
10. エビオソの唄 – 1964年 スタジオ録音
エビオソはキューバではカトリックのサンタ・バルバラ、ヨルバではチャンゴーと同一視されている神である。他の全てのアフリカ発祥の唄と同様、ソリストとコーラスの掛け合いで唄われる。リズムは手拍子で刻まれる。
11. マクータの唄 – 1965年 スタジオ録音
マクータとユカの唄はコンゴに由来し、コンゲリアと呼ばれる宴の席で唄われる。マクータとユカの違いはドラムの形や、リズムや唄によって区別され、また踊りにも両者の違いが見て取れる。この曲はハバナ州のヌエバ・パスの古いコンゴの唄の一節。
12. 労働の曲 – 1965年 現地録音
これはビリャ・クララ州のプラセタスで録音された曲で、昔の開拓地で砂糖キビの刈り取りや収穫の作業の際に唄われたものである。歌詞はコンゴ・レアルと呼ばれる部族の魔術師を称えたもので、アフリカおよびスペインやキューバにおける力について述べている。
13. マニセーロの曲 – 1965年 現地録音
マタンサス州のペドロ・ベタンコートでは、昔のマニ(ピーナッツ)ダンスや拳闘ダンスの伝統をコンゲリアス(コンゴの祝宴)で見ることができる。この録音は、これらのダンスの老齢の踊り手の指導によって再現されたものである。
14. 葬送曲 – 1967年 スタジオ録音
キューバにはルンベーロ(ルンバダンサー)あるいは同時にアバクアに入会していた者の葬儀の際に唄や踊りの風習がある土地もあった。棺は墓場まで、打楽器や喉頭音に合わせて唄い踊る男たちによって担いで運ばれる。時には担ぎ手の一人が棺を背負ったり頭に載せたりして踊ることもあった。歌詞はアバクアの男たちによって使われた言葉で再現された。
15. ルンバコルンビア – 1967年 スタジオ録音
ルンバは主要都市の風俗に基づく変化に富む表現が、いくつかのダンス様式によって複合的に表現されているものである。ここでは非常に古いコルンビアの曲を取り上げているが、これは常に男性がソロで踊り、一番小さなドラム(キント)のリズムに呼応しながら、アバクアのイレメ(ディアブリート(小さな悪魔)とも言う。)を模したステップや、その他非常にアクロバティックで複雑な動きで踊られる。
16. モユバ – 1955年 現地録音
サンテーロにとって、日々自宅の祭壇に祈りをささげることは不可欠なことである。ビリャ・クララのプラセタス・チャプテルでとり行われたチャンゴーの祭礼では、ヨルバ語から派生した言葉が用いられていたと思われる。ここでは祭壇に全ての聖人が祀られ、位の高いサンテーロ達が儀式の辞を述べている。
17. チャンゴーへの祈祷 – 1955年 現地録音
これはヨルバ語の祈りの唄で始まり、その後チャンゴーの唄が太鼓やコーラスと共に続く。このビリャ・クララのプラセタス周辺で使われる太鼓は、円柱形で小さく片側のみに皮を張ってある。これはベンベ・ドラムと呼ばれ、ハバナ南部からシエゴ・デ・アヴィァまでのキューバ中央部の一帯で使われている。
18. オドゥドゥアの唄 – 1964年 スタジオ録音
オドゥドゥアは男性の神で、キューバでは主要な神として考えられている。サン・マニュエルと同一視されており、また生死を司る神とみなされている。この唄は、ババラオの崇高な儀式や葬式で唄われる。
19. オバタラの唄 – 1964年 スタジオ録音
オバタラは世界の創造主であり、そして知性と平和の神と考えられている。カトリックのヌエストラ・セニョーラ・デ・ラス・メルセデスと同一視されている。この唄は、オバタラの逸話についてのものであり、バタドラムとコーラスが入っている。
Antología de la música afrocubana.
Liner notes by María Teresa Linares. EGREM. col.0011.
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